「ツツ・ツキ」動のモノ、太陽

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【ツツ考】[017]___
ツツ・ツキ

◇「動くモノ

 太陽は天空を移動する。鳥は空中を移動する。魚は水中を移動する。それにより此れらは、動きを表わすツツやトトの音を持つ名で呼ばれる事がある。

太陽をテント(天道)、沖縄言葉でテダなどというが、ツツ→ツンツ→テント、またツヅ→テダ、と移ったに違いない。サン(英語)や、スーリェ(ヒンドゥ語)などもツツから転化した音と思える。

鳥は、つつ鳥、とと鳥。魚は、そのままトト(今は幼児語扱いですが)と云います。

▽ちなみに、「カマボコって、オトトなの?」などとほざく、いい年をしたお嬢ちゃんをカマトトと呼ぶ。

 

*旅人はツツ・ツキ(移動する・の人)→ツフ・ブト→タビ・ビトと転じる。また、ツツ・ル・キツキが、ツール・イスト(ツーリスト/tourist)になる。これらもまた「移動する・人」の意を持つ語です。

※英語のイスト(ist)は接尾語として扱われるが、音を遡れば「人」を表わすキツキが転じてイストになったと見る事ができます。
ピアノ・キツキがピアノ・イスト(piano ist)→ピアニスト(pianist)になる。

 

 

◇「太陽

 天空と太陽は違う。太陽は天空を移動するモノであって、天空自体ではない。当たり前のことです。よって、太古の人は太陽を表わす言葉として「天空・移動・偉大な神」と表現した。

「天空」はアキツ・カツマ(澄んだ・空間=上空)といい、「偉大な神」はアキツキ・カツキ(全ての主・超越するモノ)といいます。これに「移動」を表わすツツの語が間に入り、太陽の呼称として次の音が使われました。


*「天照大御神」(⒈原音。⒉転化音。⒊表記。)
 〈天〉〈間〉 〈移動〉  〈主〉  〈偉大〉
アキツ・カツマ、ツツ・ ツ、アキツキ ・カツキ
⒉ アマツ     テラ・ツ、オホキツミ・カムヂ
⒊ 天 ツ・ホツマ、 照   ス    大 ツ御・ 神
(※ここでの大の字は、アハキやオホキの音に充てる。また御は身。)

 

 

◇「太陽と大王

 アキツ・カツマという語は、天空の意と同時に優れた国土の意もあり、カツマはしばしばホツマとも表現します。アキツキ・カツキは太陽の意と、立派な王、この二つの意がある。

太陽は天空を移動(ツツル→トール)、また放射(ツツル→テラス)し、王は威光をもって国土を統治(ツツル→ツブラ→スメラ)する。そこから太陽と大王はどちらも、

アキツ・カツマ、ツツ・ツ、アキツキ・カツキ、

という音で呼ばれる事になる。

天皇が太陽神の末裔とされるのは、元の音が同じである所からであり、むしろ当然の成り行きといえます。

ならば、天照大御神は腕力を持つ男神〔ヲトコ・カミ〕であってもいい筈だが、何故か、女神〔ヲンナ・カミ〕として扱われる。

 

*「大日孁貴
 アキツ・カラツマ・ツキ →アハキツ・マ・ブキ
  天  空  ツ間・ヅチ →オホヒル・メ・ムチ
               大  日  孁・貴
(※ここでの大の字は、オホの音に充てる。)

 昼とは、太陽か上方向にある時間帯をいいます。この天空をアキツ・カツマ(また、カラツマ=何も無い広い空間)というが、カツ(またカラツ)が省略されてアキツ・マの音も使う。

さらに転化してアヒル・マ(お昼間)という語になる。よって、天空の“お昼間”を司る神をアハヒルマ・ツキという。

 

*《書紀》では、この神を大日孁貴と表記し、読みを「此云 於保比屢咩能武智」〈此れ云う、オホヒルメノムチ〉としている。原音は勿論「アキツ・マ・ツキ」です。

アがアハやオホなどに膨張し、キツ・マがヒルマに転化するまではいいが、ここで何が有ったのか、ヒルヒルに変わってしまいます。その上、メの音に孁(靈の字の、巫を女にすげ替えた文字)などを作って此れに充て、女神〔オンナ カミ〕とする。

 

*この神は、伊弉諾尊伊弉冉尊の二神によって、大八洲國と山川草木の神を生んだ後に「共生日神、號大日孁貴」〈共に日の神を生む。名付けて、オホヒルメ・ノ・ムチ〉としている。また「一書云、天照大神」「一書云、天照大日孁尊」などと書く。

資料として集められた書物には伝承記事だけではなく、先人の私説なども含まれていたでしょう。その中にあった幾つかの記事を、そのまま載せているだけなのかも知れないが、明らかに大日孁貴(天空)と天照大御神(太陽)との混同が見られる。

此の辺りも天照大御神が女神とされてしまった要因なのかも知れません。卑弥呼の情報も耳にはいっており、これが影響しているのか。

 

竹取物語に見る「かぐや姫」は月の精であり、日(太陽)の配偶者でもあります。妻はツキツミ・ツメと呼ばれ、月弓、月読、月夜見、などと書く。

また、竹から生まれるのは、ツキツミがタケツミとも発音される事に因るものでしょう。

かぐや姫は女性であって、日神もまた女性という事になれば…、ちょっと話がややこしい。

 

「カ・ツツキ」海と渡、走と川尻

 

【ツツ考】[016]___
カツツキ〈2/2〉

◇「ワタ
 ワタツミの語音に《万葉集》などで海神の字を充てているのを見ます。また、ワタツヘは渡辺と書きます。同じワタの音が使われる事により『海をワタというのは、渡(ワタリ)からきている』と考える人が出てくる。

だが、音を遡ってゆくと、海のワタ、渡りのワタ、この二つのワタは成り立ちが異なる言葉だというのが分かります。

 

*「
 太古からある言葉で、上の空間をキ(何もない)というのに対して、下の面をカ(物質)と呼び分けます。共に広く大きいので、大の意を持つ音・アが頭に付き、天をアキ、海をアカ、と言いました。(※地名国名[001]カツカ/参照)

アカのアの音には頭にウ(勢い付けの始発音)が付き ゥア。カ(クァ)は色々な音に転じますが、ここではタ(ツァ、またトァ)になり、アカ→ゥアタ(ワタ)の音となる。

例えば、アカツカ(海ツ面)は、→ゥアタヌハ→ワタノハラ(海ワタの原ハラ)という言葉になります。カ(クァ)は、→カ(クァ)→ハ(ファ)→ワ(ウァ)と移りますが、ここでのカはハの音を採り、更に膨らませてハラとします。

 

*「
 移動を表わす語の「カ・ツツキ」がハ・タタリ→ワ・タリと転音する。ここでのカも、カツカの後ろのカですが、ここではワ(ウァ)の音を使います。

海人:アカツキ→ゥアタツキ→ウアタツ
渡り:カ・ツツキ→クァタタリ→ ウァタリ

海〔ワタ〕のワは「ゥア
渡〔ワタリ〕のワは「ウァ

*この二つの「ワ」の違いが分かりますか? 基音が違います。基音が違うといういう事は、元の言葉が違うという事です。

「アカ→ワタ(海)」と「カツツリ→ワタタリ(渡)」、この二つの音がたまたま類似音であった事、水上移動がワタリと云ったこと。これらから海を表すワタの音に渡の字を使っている過ぎない。

 

◇「ハシリ
 水走〔ミヅハシリ〕。水が流れるところ。原音はカ・ツツキといい、ワタリと同じですが発声音を変えることで、意味と用途が変わってきます。

キツ・カ・ツツキの音からキツが省かれ、カ・ツツキ→ハシシリ→ハシリと移る。キツは水、ハシシリは「流れる所」の意ですが、ハシリという言葉は昔から、井戸端、水場、流し場(流し台)などの意味で使っていました。
《神武記》
 爾其美人 驚而立走
 伊須須岐 伎乃將來

ここにある立走は「ハシリに立ち」(水場に行って)と読める。そして「伊須須岐〔イススキ〕=為濯ぎ」した「伎(矢)を乃〔スナワチ〕将〔も〕ち来…」となる。

※大方の解説書では「立走、伊須須岐・伎」とし「タチバシリ、イススキ・キ」と読み、「立ったり走ったり、バタバタして、うろたえて…」といった、所謂パニック状態と説明しています。

イススキという音にはアキツキ(王)の妻の意もあります。持ち来た矢は「置於床邊、忽成麗壯夫」〈床の辺に置いた矢が、忽ち麗しいヲトコ(美和之大物主神アキツキ)に成った。

大物主神は其の美人〔オトメ〕を娶り、彼女はイススキ(后)になる。そして、生まれた子・伊須須伎比売(後の神武の妻)へと繋がってゆく。ここはそんな“イススキ尽し”の話になっている。

*「イ・ススキ(濯ぎ)」と「キツ・ツキ」が同じ音になる所から、この語を使って言葉遊びをしています。

▽ちなみに
 キツ・ツキとは「アキツキ・ツキツミ・ツメ」の略語です。アキツキ(王)をツキツミ(扶ける、補佐)ツメ(女性)という意味。キツ・ツキはキササキ→キサキ、という音にもなります。

 

◇「河尻
 河尻と書けば通常は河口を連想しますが、《神武記》の「到吉野河之河尻時…」〈吉野川の河尻に到り時…〉にある河尻とは、伊波礼毘古が熊野の山中を北上し宇陀に向かう途中なので、吉野川の(水が)流れる所(カ・シシリ→ハ・シリ)に出た、の意です。

  1. 河口:カ・ツツキ(川・尽き)→カハ・シシリ→カワ・シリ。◇ツツキは、ツツキ・ケル→ツキケル(尽きる)という意味の語でもある。〈※「数」五と十/参照〉
  2. 川の流れ:水が移動している所。カ・シシリ(処・流れ)→ハ・シリ。◇シシリは、ツツキが元になる言葉で、ソソギ(注ぎ)、タラシ(滴らし、垂らし)、またセセラギ、などの様にも使います。

*「走」と書けば、走り(慌て)の意と解釈され、「河尻」と書いても、地理的矛盾と云われる。

始めから仮名で波斯理とでもしておけば良かったのにと思ってしまう。一文字でハシリの音を表そうと「走」の字を使ったのかも知れない。

「河尻」はさすがに誤解を招く書きようだが、当時の人達にとっては何ら問題は無かったか。それとも、既に誤解した人がカ・ハシリの音に川尻を充てたのだろうか。

*言葉の意味を探ろうとする時、それに使われている漢字の字義に執着し過ぎるのは、危険が孕んでいます。先ずは音からだと思います。

 

「カ・ツツキ」語と渡

【ツツ考】[015]___
 カツツキ〈1/2〉

◇「語〔かたり〕」

古事記》の長歌の中の幾つかに、結語として「許登能加多理碁登、母許遠婆」〈コトノカタリゴト、オモコオバ〉という表現を使うのがあります。

コトノカタリゴトの音を遡れば「キツ・カ・ツツキ・コツ」に行き着きます。
キツは発声音、カは状〔サマ〕、ツツキは連続(続けざまに)、コツは事〔コト〕をいう。
母許遠婆は「ンモィ・コレバ(思い・此れば)」が「オモ・コオバ」に転じた音でしょう。

依って、転化と意味は次の様になります。
 〈声〉 〈連続〉〈事〉
 キツ・カ・ツツキ・コツ  ○ 原音
 コツ  ンカ・ツツヂ・コツ  ○カに始発音ンが付く。
 コト  ヌカ・タタリ・コト  ○ツツキがタタリに。
 コトノカ・  タ  リ・ゴト  ○ヌがノになる。
 許登能・加 多  理・碁登
   言  の   語  り   事

※キの音は色々な音に移りますが、キ→チ→ヂ→リ→ニ、という転化ルートも持つ音です。

 

◇「コトバ」という音

コトバという語を遡って行くと、キツカという音に行き着きます。キツがコト、カはカ→ハ→バ(正確には、クァ→ファ→ブァ)と転じてキツカ→コトバになります。

バの音は唇を一旦閉じた後、これを開いて作られる声です。それにより基音が出る直前に鼻から息が出易くなるので、予唸音・ンが付き易い。これによって出来た「コトンバ」という音は、古い時代にあって、普通に使われた発声音と思われます。

このンが、ン→ヌ→ノと転じて助詞の役割りを為し、キツ ンカ→コトヌバ→コトノハ(言の葉)という語(表記)ができる。

ノを助詞にすることで後ろの濁音(バ)を清音(コトバ→コトノハ)に、また元の音(コトノカ)にも戻すことができるため、当時の人にとって“音の品”が良くなる感覚の使い方だったかも知れない。

尤も、古代の歌や書き物などにコトバという言い方は殆んど見ることはなく、コトという表現が一般的です。元は、キツ(声)・カ(状)という二つの単語であり、通常はキツから転じたコトのみで使っていたようです。

また「言者〔コト・バ〕」という表記の場合、者〔バ〕は助詞であり「言葉」とは別物なので混同しないよう注意が必要です。

 

◇「タリ・コト

ツツキは、タタリ→タリに転じますが、後年には「能書きをタレる」などと動詞としても使われる。

あるいは、キツ・カツツキ(コト・カタリ)という語が先にあり、キツカ(ことば)やタリ(垂り)という語は後にできた造語だったのかも知れません。
キツがモノに変われば、キツ・カタリ→モノ・カタリ(物語り)になる。

カ・ツツキ・キツ→カ・タリ・コト(語り事)が略され、タリ・コト(垂り・事)になる。

*また、ツツ・キツがトト・イツ(都々逸)という芸事をいう語にもなる。

すべて声音(キツ)を連続(カ・タタリ)して、発する事がら(コト)をいいます。

 

◇「渡〔わたり〕」

川や海など水で隔てられた間を移動するのをワタリという。元の音はカ・ツツキであり、ここでのカはカツカ(面)、ツツキはトトリ(とおり=移動)の意です。

カ・ツツキが転じて、→クァ・タタリ→ウァ・タリとなる。ウァ(拗音)がウア(二音)→オワと移って、ウァタリがオワタリの音にもなる。

 

「語〔かたり〕」という語も先に述べたようにカ・ツツキが元にあることにより、同じように転じてオワタリと発音される事があったようで、この二つの言葉を遊び書きで使うのが、次のような記述で見ることができます。

《仁徳記》
 吉備國兒嶋 之仕丁
 是退己國 於難波之大渡
 遇所後倉人女之船 乃

後ろの二行の末字に置かれた文字、大渡はオホワタリ、語はオワタリ、と読む。

「渡」と「語」の字が隣り合わせに並んでいるのは意図的な趣向であり、表記上の語呂合わせになっていると思われます。
「語」は、キツカ   ・ツツキ  ○言・語り
       クァ  ・タタリ
       ウァ  ・タ リ
       オワ・タ リ  ○ウァ→オワ。

「渡」は、カツカ  ・ツツキ  ○処・通り
       クァ・ツツリ
       ウァ ・ タタリ
       ゥワ・タ リ

*《平家物語
薩摩守忠度の口上に対して俊成の台詞)
「ただいまの御渡〔おわたり〕こそ、情けもすぐれて深う…」とあるが、このオワタリもまた語〔クァタリ→ウタリ〕であり、忠度の口上を指しているものと解釈できます。ここではカタリではなく、オワタリの発音に合わせて御渡の字が使われる。

 

「ツツ・ヌキ」戦うモノ

【ツツ考】[014]___

◇「戦士
 軍人の呼称には大きく分けて、カツキ系とツツヌキ系があります。大雑把な言い方をすると、カツキはモノ(武人や武具など)、ツツヌキはそれらの働き(動作)を表した語と言えます。
だが、戦う事には変わりなく、戦闘員を表わす語としてどちらも同じように使う。

 

◇「武闘神
伊邪那岐迦具土を斬った時、剣から滴る血に成る神である石筒之男神は、同時に建御雷神でもあり、亦名を建布都神、豊布都神という。

古事記
   於是伊邪那岐命
   拔所御佩 之十拳劒
 斬 其子迦具土神 之頸
   爾著其御刀前 之血

   走就湯津石村 所成神
   名石拆神
   次根拆神
   次石筒之男神

 

  • 次著御刀本血。亦走就湯津石村、所成神名、甕速日神、次樋速日神、次建御雷之男神、亦名建布都神。亦名豐布都神。
  • 次集御刀之手上血。自手俣漏出、所成神名、闇淤加美神、次闇御津羽神。

※御刀に著く血の三つの表記のうち、二番目の著御刀本血は「著御刀本 血」、三番目の集御刀之手上血は「集御刀手上 血」と書いたのではないか? 二文字(其・之)の漏れと、一文字(之)の移動が感じられます。

 

《ツツヌキ系》
石筒之男:キツ・ツツヌキ→イシ・ツツノヲ。
経津主:ツツヌキ→フツヌシ。
建布都:ツキツミ・ツツヌキ→タケツミ・フツヌシ→タケ・フツ。
豊布都:ツキツキ・ツツヌキ→ツユスキ・フツヌシ→ツユ・フツ(トヨ・フツ)。

建布都と豊布都の二つの名は、原音で見ればツキツミ・ツツヌキですが、これを→ツキ・ツツ(タケ・フツ、またトヨ・フツ)と省略した形です。

《カツキ系》
石拆神:キツ・カツキ→イツ・ファサキ→イ・ワサキ。
御雷:ツキツミ・キツ・カツキ→タケツミ・イカヅチ。
(※雷:キツ・カツキ→イツ・カヅチ→イ・カヅチ

ツキツキ(転音、タケツミ、またツユスキ)は仕える人を表わす呼称であり、この語を用いる時点で王の存在を示唆している。

根拆:ネツキ→ネサキ〈頸。胴と頭部を繋ぐ身体の部分。クビ。〉

甕速日:カツ・カヤツキ→カム・ハヤキ→カメ・ハヤヒ〈この甕の字はカメ〉。

樋速日:キツ・カツキ→ヒ・カヤキ→ヒ・ハヤヒ。

闇淤加美:キツ・オカツミ→クラ・オカミ。

御津羽:キツ・キツカ→クラ・ミツハ(彌都波、また罔象)。

 

◇「」と「
“イ・クサビト”同士が、“タタキ・合い”をするのを、イクサ(軍)のタタカイ(戦)、という。これが時を経て、音は「イクサ」、文字は「戦」を充てたりする。

  • 「イクサ」とは、キツ・カツキ→イツ・カサブト(ビト)→イッ・クサビト(軍人)→イクサ。
  • 「タタカイ」とは、ツツキ・アイ→タタキ・アイ→タタキァイ(合戦)→タタカイ。


◇「武器
 金属が未だ無かった時代は勿論だが、銅剣が造られ始めた時代でも、一般の兵士達が持つ武器は専ら棍棒であった。小規模な集団であれば尚更である。

この棒をツツキ・ツキ(叩き・の木)というが、先が塊になったツツキ棒はコブ・ツツキ、より強力にするため先に石を付ければイシ・ツツキとなる。

《神武記》の歌に「久夫都都伊、伊斯都都伊母知」〈瘤ツツイ、石ツツイ持ち〉とあり、ここではツツキのキがイに転じ、ツツイと発音される。

《景行紀》
十二年冬十月、「則採海石榴樹、作椎爲兵。因簡猛卒、授兵椎…、」などの記述がある。硬い材質の木で造ったツツキ(殴る道具)がツツチ→ツチの音になり、ここでは椎の字を充てている。

 

▽「ツルギのタチ」について。
《記》に、倭建命「其の御刀の草那藝剣、ミヤズ比賣の許に置いて…」ー(略)ー そして、崩る直前「歌曰、…和賀淤岐斯、都流岐能多知…」〈我が置きし、ツルギのタチ〉

[都流岐能多知]刃物の突〔ツツ〕き(また、叩き)棒。◯都流岐/ツルギ。金属製。ツツ・ル・キ→ツルギ(剣)。刃物。ツツキ棒の総称。◇ツルギのギは清音・キ(ツルキ)と発音したかも知れない。◯多知/タチ。カツキ→タツチ。タチ(刀)。

◇ 多くの人が、剣〔ツルギ〕と大刀〔タチ〕の違いに付いて説明しているのを目にします。例えば「剣は両刃、大刀は片刃」「剣は直刀、太刀は反りを持つ」など。
『漢字の大辞典には、そう書いてある。』だから、間違い無いという事でしょうか。

しかし、ここに「ツルギノタチ」という語が出てくる。「ツルギとタチ」ではない。「ツルギのタチ」である。

 

◇「ツツキのカツキ
 相手をツツキ(突き)、タタキ(叩き)、する為のカツキ(武器、道具)が転じて、ツツキ→ツルギ、カツキ→タツチ→タチ(剣の大刀)になる。ツツキのカツキが、ツルギのタチ、と呼ばれる。
また、ツツキのカツキは、ツツキ・ホツコ→ツキ・ホコ、の音にもなる。月鉾。

◇「触れる」
ツツキとは、対象物に、或るモノを接触させる行為をいいます。これを英語ではタッチ(touch)と言う。
強く当てるのをド・ツツキ→ドツキ、またヅ・ツツキ→ヅツキ。
そっと触れるのをス・ツツキ→ソ・タタキという。またソフツト→ソフト(soft)という。


◇「キリ」(切、斬)
キリ(切)という語は「擦る」行為をいう。キツ・ツツキ(キツく・擦り)がキ・ツリ→キリになり、切、斬、などの字を使う。

*火切杵(燧杵/ヒキリ キネ)、大工道具の錐〔キリ〕、これらのキリは棒状の先端を対象物に当てて回転摩擦を加え、火を作る、穴を開ける、といった事をする道具である。また、両の掌を使って行うこの動作(揉み)をキリモミという。

耳にする音だけでは、その存在に気づかないが、音を遡れば語の中にツツが見えてくる。

 

◇「カリ
 道具類は総じてカツキと云う。刀剣類もまたカツキと呼ばれるが、→カツリ→カリという音にもなる。

*最も強力なカリはマサカリ(マツ・カツキ→マサ・カツリからの転)という。
*先端が鋭利なカリはツ・カリ(ト・ガリ=尖り/ツ・カツキからの転)、また、ツン・カリ→トンガリという言葉になる。

「ツ」は、先端、一点、またポイント、ピン、などの意味をもつ。ツン、トン、デン、などと促音を付けて使われるのは日常的です。

[都牟刈之大刀]ツムカリノタチ。先端が鋭利なカツキ。◇日本語にはンの音が沢山出てくるが、一文字でンを表わす漢字が無い。そこでムの音を持つ文字(牟無无など)を代用する。よって、都牟刈〔ツムカリ〕をツンカリと読んでも構わない。

 

*針もまた小さい物とはいえ刃物の一種です。カツキ→カリ→ハリと転じ、一寸法師はこれを腰に佩く。一応ツルギのタチであるが、ただし針なので、チクチク刺す「ツツキ(突き)の刀」ですね。

 

「ツツ・ヅ・カワ」川

 

【ツツ考】[013]___
3-6.液体の流れ「川」

◇「ツツ・ツ・カハ(ツツ・カハ)

「キツ・ツツ・ツ・カ」を直訳すると「液体・移動・面」ですが、水が流れる処、と言い換える事もできます。この音からキツを省いた形、これを元とする呼称は全国に多数あります。

トト・ツ・カハ(十津川)、ツツ・カハ(筒川)、タツ・カハ(龍川、達川など)、タチ・カハ(立川)、セ・カハ(瀬川)、ササ・カハ(笹川、篠川など)、サ・カハ(佐川、狭川、茶川など)、テン・カハ(天川)…。和歌山県の一部地域ではツツカに筒香の字を充てる。
また、サン・ヅ・カハ(三途川)、ソウ・ヅ・カヌバ(僧都迦之婆、葬塚之婆)は、あの世に渡る川。

 

◇「」と「

カワを表わす漢字には、河と川の二種類があります。川の音読みは「セン」ですが、元の音はツツ(「動き」の意)でしょう。転化してススやセセに変わり、さらにスンやセンになる。この中からセンが標準音として生き残った。

また「川」の字形は、水が流れる様を表わす象形文字と云えます。そして、この“記号”にセン(ツツ)の音を充てる。

一方、河はカですがカの音を持つ「可」にサンズイ扁を付けて出来ている。つまり、カの音が先に有り、これに合わせて作られた文字といえます。

  • 音はツツを残し、文字は川〔セン〕を使う。
  • 音はカを残し、文字は河〔カ〕を使う。

ここに、ツツ・カの音から二種類の声音・表字が出来ました。これ以外にも「江」なども使われますが、それぞれの文字に意味の違いが設けられます。

しかし、これは後の時代に作られたもので、始まりは同じ“水が流れる処”を表わすと思われます。文字の違い、音の違いは、単に部族の違いに依るものではないのか。

ツツカという音のうち、ツツを使う部族と、カを採る部族があり、各々が自分達が使う音と文字を用いた、という事でしょう。

 

◇「スンガイ

インドネシア語で川をスンガイ(sungai)といいます。この音は、ツツ・カ→スス・カィ→スン・ガイ、と転じて出来た音とみて間違いないでしょう。

この語は川そのものを表わす普通名詞です。大陸で使われる語、セン(川)と、カ(河)に分離する前の、元になる音です。

日本語の場合、川はカ(カワ)の音を採用しているので、ツツカは筒川など川の固有名として使われます。ただし、日本も古くは川をツツカと言っていた時期が有ったでしょう。

 

◇「三途

あの世へ行く時に渡る川を「サンヅの川」といいます。この名は、ツツ・ヅ→サン・ズ、と転じた音と見て良い。

また、「ソウヅカの婆〔ババ〕」という語があります。三途の川に有る渡し場をソウヅカといい、そこに居る老婆の事となってますが、このソウヅカのソウも、ツツ→スス→ソウと移った音でしょう。

さらにカワ(川)を表わす最初の音であるカツカ(面)が、→カヅハ→カヌバと転じ、ソウ・ヅ・カノバになる。この音に「僧都迦之婆」また「葬塚の婆」の字が充てられた。

よって、婆の字は単にバの音に充てただけ(仮名文字)であり意味は伴わない。ところが、後の時代になって「お話」として作られる過程で、字義を持ち出し、渡し場にいる老婆として使われる様になる。しかし「三途の川」「ソウヅカの婆」の元は、共に川を表わす音でした。

  •  ツツ・ヅ・カ→サンズ・カワ。
  •  ツツ・ヅ・カツカ→ソウヅ・カノバ。

*この川の渡し舟に乗るには無文銭が六枚(六文銭、また六連銭)が要ったという。だが、この設定は硬貨が造られて以降の事です。その川の歴史から見れば、最近できた“船賃制度”、といえますね。

では何故、無文銭や六文銭といった銭なのか? 恐らく、何らかの音が先ず有って、その音から連想して作られた話でしょう。その音と此の銭が、関係してる表記だったと推測されます。
※ムモンセン辺りの音が怪しい。(ンキツ・ツツ→ムミヌ・セセ→ムモン・セン、と転じたか。)

*結界の川を云う二つの名称、これらを見ると、ツツ・ヅ・カの音を元とする「三途川」より、ツツ・ヅ・カツカを表わす「葬塚の婆」の方が、より古い言い方だと考えられます。

 

◇「外国のツツ川

*「セーヌ川
ツツ・ヅ→セセヌ→セーヌ。筒川である。

*「ライン川
この音の成り立ちには、二つのルートが考えられます。

  1. アキツアイヌ→ル・アイン(ライン)。アキツに接頭語・ルが付いた音。
  2. ツツキ→ルルイ→ルイ→ルアイン。
    ライン(line)などの語も同じ源音からの語だろう。

*「アマゾン川」
アキ・ツツ→アミ・ヅン→アマゾン。
アキがアマになるのはアキツ島がアマツ国になるのと同じ音転である。

*「ミシシッピ川」
キツ・ツツ・ツ・キ→ミツ・シシ・ツ・ヒ。
北米大陸先住民族が使っていた語。ですが、白人が耳で聞いた音、また彼等にとって発音し易い音になっている可能性が有ります。

 

◇ここまで見て来た此れらの音と、意味する対象物の類似性を、偶然の産物として処理していいものでしょうか。とてもそうとは思えません。

川を表わす時、「キツ」「ツツ」「カ」といった音は、そこ此処の言語に潜んでいます。もはや人類語と云っていいでしょう。

 

「キツ・カハ」川

【ツツ考】[012]___
3-5.液体の流れ「川」

◇「キツ・カハ
 キツ・ツツ・ヅ・キ・カハ、の中のツツ・ヅ・キが移動を意味します。この音を省略して、キツ・カハになる。キツは極く初期に於いて接頭語だった思われますが、早い段階で水の意で使われます。

後の時代には川の呼称として最も一般的な形として使われる音になりますが、多様な転化をしつつ、次のような呼称(表記)でそれぞれ固有の名となっていきます。
 キツ・カハ(木津川)、キツ・カハ(吉川)、キヌ・カハ(鬼怒川)、キヌ・カハ(吉野川)、キノ・カハ(紀の川)、イナ・カハ(猪名川)、イヌ・カハ(犬川)、イト・カハ(糸川)、イサ・カハ(率川、伊邪川)…など多数。挙げるとキリがない。

 

◇「キ・カハ」⑴
 キツ・カハの音からツが落ち、キ・カハになり、多くはキの音がキィや、キといった一拍の長さになって使われます。

*「斐伊川
キ・カハ→ヒイ・カハ。キがキィと長音になり、さらにヒィと転化する。
《神世記》「所避追而、降出雲國之肥河上・名鳥髮地…」この肥河の肥の字は、一拍音でヒと発音したのでしょう。

*「免寸川
ンキ・カハ→ウキ・カハ。キの音に予唸音・ンが付きンキと発音される。さらにンがウに転じて、ンキ→ウキと移った音。
《仁徳記》「免寸河之西、有一高樹…」

*「宇治川
ンキ・カハ→ウヂ・カハ。ンキのン(予唸音)がウに、キが→チ→ヂと転じた音。
《応神記》「知波夜夫流 宇遲能和多理邇…」宇遲能和多理〔ウヂノワタリ〕とは、宇遲河の河口(巨椋池東部)近くに渡し場があったのでしょう。

 

◇「キ・カハ」⑵
堆積土によって出来た平地や湿地帯をキやアキ、またアハキといい、このキ(アキ)に出来た川(水路)をキ川いいます。
キ・カハ(木川)、コ・カハ(古川、粉川)、またアキ・カハ→アヂ・カハ(安治川)などと呼ばれる。

古い時代にはその土地自体が未だ生まれておらず、当然これらの川も存在しなかった。同じ音(キ・川)であっても通常の川(キツ川から転じた斐伊川宇治川)とは意味も成り立ちも、時代も違う。

 

◇「ミツ・ハ
 大火傷を負った伊邪那美が、その苦しみのあまり糞尿を漏らし嘔吐する。その尿に成れる神は、《古事記》彌都波能賣神〔ミツハノメ〕(書紀では、罔象女)、《記》和久産巣日神〔ワクムスヒ〕(書紀では稚産霊)とする。

ミツハとは水地〔ミヅチ〕を表わす語のキツ・カ(水の面、また液体・物質)のキがミに、カがハに変わり、キツカ→ミツハとなった音です。川や池といった水がある場所、水溜まり全般の神である。よって、この名にツツの音は使わない。

ツツは“動き”を表わす語なので、溜り水のように止まってるモノにツツは用いない。よって、省略したのではなく、始めから入っていない。

和久産巣日神の和久〔ワク〕には、二つの事が考えられます。

  • 水の祖神「ゥアカ・ムスヒ」
    ここでは水にアカ(カは拗音クァ、アクァ)が使われる。頭にウが付き、ゥアクァ→ワクと移った音に和久を充てる。
  • 「湧き」の祖神「ゥアキ・ムスヒ」
    ワキという語は、ゥアキツがワキと転・略された音である。ワキは、湧き立つ、沸き騰る、などと表現し、或る場所から物質が連続して発生する事をいいます。

▽アやアツという音は大や多の意を持ちますが、予唸音(勢い付けの始発音)が乗り易く、イア(ヤ)、ウア(ワ)といった音になります。

 

◇「アキツ・カハ」
*「山代河」大きな川。
 元は海であった。かつて、枚方と三島地域の間には入江が広がっていました。この両地の海岸線に土が堆積していき、海が徐々に狭まってゆく。その結果、いつしか川の姿を呈するようになります。

 《仁徳記》に「都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁…」〈ツギネフヤ ヤマシロガハヲ…〉とあるヤマシロ河はアキツ川です。アキツのア(大)が、ア→アツ→アムと転じ、これに予唸音イが付き、ィアツキツ→ヤムシル→ヤマシロ、と移った音で、大きな川を表している。

山代国から流れてくる川ということもあり、同じ字を使っている。尤も山代という名もまた、別の意味のアツキツです。

四〜五世紀頃の山代河(現在の淀川)は巨椋池から流れ出た短い河であったでしょうが、ただ幅は広かった。オホ・カハ(大川)とも呼んでいたらしく、当時の発音のウフ・カハに充てて鵜河の表記も使った。〈※沖縄ことばで、大村をウフ・ムラ、大城をウフ・グスクと発音する)

 

◇那岐・那美、二神による神生みで、水戸神として「速秋津日子・速秋津日賣二神、因河海持別而生神…」〈二神、河海持ち別けに因りて、生まれし神〉とある。

ここでの秋津〔アキツ〕は単に水の意なので、秋津日子はキツ・ツキ(水を・司るモノ)が本来の音と意味です。予唸音ンが付いてンキツになり、ンがアに変わっただけで、ここのアに大の意味はない。秋の発音はアクィであり、水を表わす音(ンキ)として使うのは適当ではない。

 

*「アキツ・カハ」小さな川。
 元はンキツ川であり、アはンが母音転化した調子付けの付属音です。ンキツがオキヅ→オミヅ(お水)になる様なもので、ここでのアキツ川は、「お水・川」と言っているのと同じである。

大きな河をいうアキツ・川とは規模に於いて圧倒的な差があり、間違うことは無いでしょうが、紛らわしくは有ります。
アキ・カハ(秋川)、アイ・カハ(安威川)、アリス・カハ(有栖川)、アキヌ・カハ(天野川)、などの音や表字を使う名があるがどれも大きな川とは云えない。
▽「天野川」は、枚方市を流れる川です。今はアマノ・カワと読むが、天野の字が初めて充てられた時点では別の音だったでしょう。

  1. ンキツ・カハ→アキヌ・カハ。
    ンキがアキと転じて天の字を充て、天〔アキ〕ヌ・川。ここでの「天」はアキ、「野」は、ヌの音を表わす仮名文字として使う。
  2. ツツ・ヅ・カハ。
    ツツ・ヅがテン・ヌに変わり、天・野、の字を充てる。ここでの「天」はテン、「野」はヌ、それぞれ仮名遣い。

⒈の可能性が高いが、⒉も捨て難い。

 

▽「有栖川」は、ンキツ→ウヂス→アリス(キの音はチヂリと移る)と転じて出来た音である。京都市の西を流れる小さな川です。

 

◇「外国のアキツ川」
*「ガンジス川
アキツ→アンチス→グ・アンヂス(ガンジス)。
大きな川なので、アキツだがアが撥ねてアンになり、キツがヂスに転じる。さらに偉大なものを表わす音・グが頭に乗り、グ・アンヂス(ガンジス)になる。
または、カツ・キツ→ガン・ヂス。カンは接頭語。

*「ナイル川
アキツ→ヌ・アイル→ナイル。
アキツがナイルに転じる。“大きなモノ”を表わす語・ヌが付いて、ヌアキツになる。キツがイルになった後、ァイルの発音になる可能性も無くはないが、広大な川なのでやはり初めからアキツと言ったに違いない。そこからアイルへと移った。アフリカの母なる大河なのだから。

 

「キツ・ツツ・カ」川

【ツツ考】[011]___
3-4.液体の流れ 「キツ・ツツ・カ」

◇「
 カワという音は、カツカ(面)の先のカが膨張してカハ(kaha /一音語)→カファ(ka・pha /二音語)→カウァ(kawa)と転化した音です。古代から中世に於いてはカファツカの後ろのツカを省いたカファが一般的だったようです。

アイヌ語では、ベツ、ペツ、ペシ、べ、ぺ、などの音を使う。これら音の違いは、アイヌの中での地域や時代の違いによるものでしょうが、源音はカツやカですね。

 

◇「キツ・ツツ・ツ・カハ
 これは最も古いタイプの川の呼び名ですが、時と共に転化また省略して、個別の呼称となってゆく。現在でもその音を残しているのが多くあります。転じた音が固有名になったものを幾つか挙げてみると、次のようなものがあります。
《キツ・ツツ・ツ・カハ》
 イソ・スス・ヅ・カハ(五十鈴川
 クヅ・タツ   カハ(九頭龍川)
         ※今はクズリュウと読む。
 ヒラ・タ    カハ(平田川)
 ヒロ・セ    カハ(広瀬川
 イト・タ    カハ(糸田川)
 ミナ・セ    カハ(水無瀬川
 
ここにあるキツの転化音はよく見る形です。ツツがタツ、或いはツツ・ツがタタ・ツ→タツに転じて竜の字、タタが一個のタになって田の字が充てられる。瀬はセセ(瀬瀬)に転じた後、一音のセ(瀬)のみになったものです。

 

◇「」はツツ?
 北上川最上川、犬上川、といった名の川があります。キタ(北)やイヌ(犬)の音はキツが源音であるし、モ(最)もキツ→モノと転じる音なので、すんなり入ってきます。ところが「上」の字は何だ?

川の古名に照らし合わせれば、この場所にはツツが入る筈ですが、何故ツツではなく上なのか。恐らく、元はツツだったでしょう。これには次のようなことが考えられます。

  1. ツツ→ヅン→ジン→神→カミ→上。
    ツツがジン(またシシ→シン)と転じた後、ジン(シン)の音に神を充て、更に訓読みのカミになり、これが同音の上に変わった。
  2. ツツ→タツ(タチ)。
    「上」の字をタツやタチと読む地域があって、キツ・ツツがキタ・タツと転じた音に北上の字を充てた。同様にモノ・タツ(最上)、イヌ・タツ(犬上)となる。

⑴ の可能性が大きい。朝鮮半島にあるイムジン・ガンという川の名も、先住民の言葉でキツ・ツツ・カハが元の音でしょう。キツ・ツツ→イム・ジンの転音であり、ツツがジンに移る。
そして日本では、ジンが神に、神が上に移る。

 

◇「アムール川
 中国語で黒竜江〔コクリュウコウ〕と書く。この名を見ると、(キツ・ツツ・川の)キツがキナに転じ、この音に国の字を充て、後に漢音のコクと読み、さらに同音の黒の字を充てた転音、
 キツ→キナ→国→コク→黒
というルートが見えてくる。竜の字はもちろん元はツツ。

源音は何故か日本語で解釈できる。キナの音に国の字を充てるのは、ア・キツキがオホ・キナヌシに転じて大主の字を充てる例がある。音だけを見ると日本語のように見えます。

 

◇川は人類にとって常に身近なものでした。世界中の国や言語で使われる川を表わす音は、多岐にわたるでしょうが、遡ると案外同じ音に行き着くかも知れません。