「カヤ・ツツヌキ」

【ツツ考】[024]___

◇「重力
 この世の初めは、ただ何もかもが乱雑に撹拌された濁った空間だけが存在していました。上も下も無く、光も無く、まるで固まっているのかとさえ思えるような、或いはスチール写真を見るような、一切のものが微動だにしない、完全に停止した世界でした。

ここに或る時、重力というモノが発生し始めます。今風に言えば “ヒッグス粒子の誕生”という所でしょうか。

「重さ」を持った物質は、それが如何に微細なモノであっても、或る方向にゆっくりと静かに移動を始める。この向かう先を「下」といいます。これにより、この空間に初めて上・下というものが作られました。

 

◇「ツツの正体
 悠久の時が流れ、降下したモノはすっかり底に溜まり、何処までも続く平らな広い海面(アカ)を作っています。一方、上は全く何も無い澄み切った高い空間(アキ)が際限なく広がっていました。

こうして作られた空と海の間には常に風が吹き、月は海に干満を作り、それによって生じた潮流は永遠に動き続けることとなります。

これら自然界に存在するあらゆるツツ(動き)は全て重力に起因するものです。

つまり、重力こそがツツの正体なのです。それは即ち、竜の正体でありドラゴンの正体です。そして、荒振るツツヌキの大神、カツ・ツツヌキ…いや、ハヤ・スサノヲ(速須佐之男)の正体です。

 

 

「ツツノキ」凄力

【ツツ考】[023]___

◇「エネルギー
 誰の意思によって動いているのか、なぜ動いているのか。日常の生活の中で、余りにもありふれているにも関わらず、誰も知らない。

  • 生命の活動:心臓の鼓動、湧き出る意識。草木の発芽と成長、その盛衰。
  • 自然界活動:繰り返される日と月の動き、風雨、潮流、季節の移ろい。炎〔ホノオ〕なるもの。

これらを太古の人は「ツツ・ヌキ(動きを司るモノ)」の仕業と考えたのでしょう。そして、実体の無いモノに、その姿を創作し可視化する事を、人類はずっと行なってきました。

 

◇「スサノヲ
 最大級のツツ・ヌキを表わす音がスサノヲです。ツツ→スサ、(ツキ→)ヌキ→ノヲと移ります。この呼称は色々な意味を持っています。

古事記日本書紀に、スサノヲという名が登場すると、その場面や状況が違っても、全てを同じ神として扱い、繋げて物語を作ってしまう。だから話が混乱するのです。それぞれ別の働き、異なる存在として捉える必要があります。

  1. 水流」筒之男ツツノヲ伊邪那岐が禊をした時、水の動き(潮流、川の流れ)から生まれたスサノヲ。
  2. 自然界エネルギー」轟きトドロキ。あらゆる自然災害(台風、地震津波など)。高天原で狼藉をはたらくスサノヲ。
  3. 武人」経津主フツヌシ。筒之男ツツノヲ。ヲロチを退治した勇猛で強い戦士のスサノヲ。
  4. 首領」皇スメラキ。須世理比賣の父としてのスサノヲ。ツツヌキ・カツキ→ツブラミ・コツト→スメラミ・コト、と音が移る。

 

*小さな水の流れをセセラキといい、池や湖の岸に寄せる細かな波をササナミという。海岸に打ち寄せる波はツツナミといい、水位の上昇により押し寄せる水はオホ・ツツナミ(大津波)です。これらは全てツツ・ヌキが元の音であり、意味は「動く水」を表わします。

伊邪那岐が禊をした際、左目から天照大御神が、右目から月讀命が生まれる。鼻を洗〔スス〕いだ時に須佐之男命が成った。記紀ではそう言います。

確かに、天照大御神と月讀命は、伊邪那岐の眼から生まれたのでしょう。しかし、須佐之男はちょっと違う。

須佐之男伊邪那岐の身から成ったのではなく、禊をするその“水の流れ”に成ったキ(神)=ツツ・ヌ・キなのです。海や川の水を動かすエネルギーであり、微小だが鼻水もまたこれに含まれます。

 

*或いは、この流動神も伊邪那岐によって出現したものか。そういえば、伊邪那岐はかつて海に矛を差し下し掻き混ぜた事がありました。

この時の副産物として潮流というものが生じてしまったとすれば、その神である須佐之男は、紛れも無く伊邪那岐が造り出した子といえます。

また、矛の刺激によって生まれた事により、激しい戦闘員・ツツノヲ(筒之男、経津主)にもなっていく。
・・・話としては面白いでしょ。話としてはね。

本当は、潮流と戦闘員は別の神。
禊で成ったのは「水流」を意味するツツヌキ。
戦うのは「武人」を表わすツツヌキです。

この二つは違うツツヌキなんですがゴッチャになって、例えば、住吉大社などは海に関する神を祀る社だっのが、何時の間にやら戦いの神としても扱われます。

昔の人も、本当のところは判らないんだと思う。ただ、ハッキリしてるのは、両方ともツツヌキと呼ばれる、ということです。

 

◇自然界には様々なツツ(運動)エネルギーがあります。不安定な状況があれば、安定状態にするなどは至る所で発生します。これは単なる自然の営みに過ぎないですね。この時、人に害が及ぶと災害と呼ばれます。

地震、台風、山崩れ、火山噴火など、このような人智を超えた自然界の “戯〔タワムレ〕” は超最大のツツです。このエネルギーは何によって生み出され、制御されているのか。

人々にとって自然現象に依る猛威そのモノとは別に、それらを作り出す「自然エネルギーの源」を司る存在(神)が脅威の的でした。この親玉的存在をカツ・ツツヌキといい、転じてハヤ・スサノヲ(速・須佐之男)と呼びます。

記紀では災いの神として、スサノヲを「神夜良比 夜良比岐 カムヤラヒ ヤラヒキ」する場面があります。これは大災害を経験した人達の“切なる願い”(邪悪な神の追放)から作られた話でしょう。

 

◇「竜神
 人の心の内に作られた想像上の霊獣としてのツツヌキの音には、竜ツ神(ツツ・ノ・キ)という字も充てます。漢音のリュウジンも、ツツ→ルウ→リュウ、キン→ヂン、と音転するのだから元はツツヌキです。(※「竜」と「流」は音も同じ、意も同義)

 

*ある時、水晶を用いる占い師が、おさまり澄ました知たり顔で「水晶は水の結晶です。」と言ったのに対し、傍らで聞いていた人が間髪を入れず「水の結晶は氷だよ。」と簡単に粉砕されていた。

この占い師と同類の人種が、これまた得意顔で「竜は水の神です。」などと言い放つ。竜(龍)の訓読みのタツも、音読みのリュウ(ルウ、ロン)も、ツツからの転化音です。

ツツとは「動き」を表わす語であり、水の意などカケラもない。水神は罔象(ミツハ=元の音はキツ・カ)である。また蛟(ミヅチ=元の音はキツ・キ)とも云う。

ミヅチを竜の子の一種とするが、ミヅチ自体は水を指し、これが動いて初めてツツ・ミヅチとなって竜蛟と表記されるのです。動かない水溜りを竜〔ツツ〕とは云わない。

◎竜は、流動の神であって、水の神ではない。

 

◇「ドラゴン
 ツツルキ→トトルコ→トルコ→ドラゴン、と転じる。中世の西洋ではこれと戦う騎士が英雄とされた。ドン・キホーテが風車と闘おうとした話があり、愚か者の象徴のようになっていますが、風という自然エネルギーもまたツツヌキです。

彼の行動はこの件に関して、何ら間違っていない。また、彼はこの風力活用建造物をドラゴンと見立てて闘いの気持ちを高めたのかも知れない。
奈何せん、全てが妄想だったことが問題であっただけです。

 

「ツツ・ツツ」重連

【ツツ考】[022]___

◇「重連
 日本語には、ツツを二つ重ねて「ツツ・ツツ」という音表現があります。動きの継続や繰り返し、また動きの滑らか度合いや、その状〔さま〕などを表わす時に使われます。

ツはタ行の他の音や、サ行音などに転化しますが、同じ音を四つも続けるのは、流石〔さすが〕に発音しづらい。そこで、ツツの後ろのツが色々な音に転化します。

例えば、ラ行音になれば、ツルツル、スルスル、またタラタラ、サラサラ。クの音になると、ツクツク、スクスク、またトコトコといった表現になります。

*スクスクは「子供がすくすくと育つ」のように、無事な成長の意に使いますね。広義には、物ごとが滞り無く運ぶ状態を表わします。
《応神記》の歌に次の一節があります。

  志那陀由布 佐佐那美遲袁
  須久須久登 和賀伊麻勢婆夜

  しなだゆふ ささなみ道〔ぢ〕を
  スクスクと 我がいませばや…

ここでのスクスクは、順調に歩を進める状をいい、或る種の軽快感を持たせています。今の言葉でいうテクテクは、歩く行為自体を表わすので、ちょつと違うかもしれない。

 

*パソコンを扱う人達の間では「サクサク」という言葉がすっかり定着していますよね。音としては昔から有りますが、使い方としては新概念の語です。

仮に、この音を応神天皇が聞いたとしても、ニュアンスはある程度、通じるでのではないでしょうか。考えてみたら、これ、ちょっと凄い。千七百年の時を隔てて言葉が通じるなんて、そんな国が有るでしょうか?

 

*話を戻します。
 ツツ・ツツが、ツル・ツルや、ツク・ツクなどと、後ろのツが他の音に変わるのは、その方が“発声し易い”という、いたって単純な理由からです。

結果として、ツツ・ツツの音種バリエーション自体が増え、色々な特徴、状況、感覚、といったものを表わすのに便利、という副産物ができました。

 

◇「誘い〔イザナ・い〕」
 他人に対して何らかの行為を、促〔うなが〕す、勧める、誘う、招く、導く、といった事をする時、使う言葉として「サァ、サァ」というのが有ります。「サァサァ、お入り下さい」などと使います。

この「サァサァ」は、ツツ・ツツ→ササ・ササ→サァ・サァ、と転じた音でしょう。短く「サ・サ」と云う場合も一つの「ササ」ではなく「サァ・サァ」の短縮系で「サ・サ」です。

これに勢い付けの始発音ンが付き「サ・サ」、更にンが母音(ここではイ)になり「イサ・サ」という語も使われます。また、サが一個になって「イザ」にもなる。「イザ、尋常に勝負!」などのイザです。
ここでのイザは、物事を始める時の掛け声、また合図としての役割りにもなっています。

 

 

*「イザ」という語は「何々するぞ!」また「何々しましょう」という時の、呼び掛けの言葉です。当然、後ろに何らかの言葉が続いています。「イザ、何々、する」というのが定型だった。

地域の言葉に「〜してクダサイ」を、「〜しんサイ」「〜してクンナイ」また、「来てくだサイ」が「来てくんサイ」「来んナイ」、また「食べてね」が「食べてくんサイ」「食べナイ」などのサイやナイの表現音がありますね。

「誘い〔イザナ・イ〕」とは「イササ(何々)ナイ」という言葉の“何々”の部分を省いて、イサ・ナイ、になったと思われます。
「イササ・ササ、何々、しましょう」が「さぁ、しましょう」になる。これがイザナイの元にある音でしょう。

 

▽ちなみに。
「誘」の読みはイザナイとサソイの二つがあります。この違いは何か、に付いて。
※この語は、イザナウやサソウといった動詞では無いということを、先ず知っておく必要が有ります。

さそい」ツツ・ツキのツツがササに変わり、キがイになります。ササ・ツイ→サ・ソイ、と転じて出来た語です。

いざない」元の音がツツ・ツキであるのは同じです。ツツの頭に予唸音ンが付きンツツ。ンが母音イに、ツツがササに転ずることでイササという音になります。ツキがヌイ→ナイと移り、ツツ・ツキ→イササ・ナイの音になる。

元の音はどちらも同じですが、シンプルなのが「サ・ソイ」、ボリュームを持たせたのが「イザ・ナイ」という、ただ、それだけの事です。

 

 

*「伊奘諾イザナギ
 伊奘諾の名は「誘〔いざな〕い」からきているという説があります。

「オノゴロ島に降り立った二神は、降りるのに使ったスペースチューブを天之御柱に見立て、その前に並んで立った。そして、作法通り「陽神左旋、陰神右旋」男神は左回り、女神は右回り〉でスタートした。柱のちょうど反対側で出会ったところで、お互いに声を掛け合った。この声掛けを「イザナイ(誘い)合った」と解釈をし、ここから男神をイザ・ノキ、女神をイザ・ノミ、といい、これが名になった。」

、大体こんなところでしょうか。

*生命体を表わす語をキツキといい、先のキが膨らんでキッツキ、ここから、→キサヌキ→イサナキ、と転じて伊奘諾〔イザナキ〕の呼称が出来る。イザナキのイはキからの転音です。

イザナイ(誘い)のイは、ンササ→イザなので元の音は・ンです。この二つのイは、音も、意味も、成り立ちも、違うので全く別の語になります。

[誘い]ンササ・ツキ→イササ・ヌイ→イザ・ナイ
[伊奘諾]キツキ→キッツキ→キスヌキ→イサナキ

※「誘い〈イザナ・い」はサがザ(濁音)になりすが、これは予唸音・ン(舌先による遮断開放)が付くことによって、後ろのサがザになったものす。

 

「イザナイ」「イザナキ」、この音だけに反応して、その意味に触れず、安易に結び繋げようとするのは、如何〔いかが〕なものか。

 

◇日本語には「ツツ・ツツ」から転化する音が異常なほど多い。その意味も多岐に渡り、ここに示したのはほんの一部でしかありません。挙げればキリが無い。

現代では擬音として扱われるツルツル、サラサラなどの表現音の始まりは、ツツという歴とした単語であったことが分かります。

 

「ツツ・マキ」芝居

【ツツ考】[021]___

◇「芝居
 ツツは「続ける」「連続」、マキ(マイ)は「回転の状」また「行為」。この二つの語を合わせた「ツツ・マキ」という言葉は、一定の場所で「動き続く・行為」の状〔サマ〕をいいます。
ツツは、→スス→シシと移り、マキは、→マイ→バイと転じて「シシバイ」という音になりました。
◎ツツ・マキ→シシバイ→シバイ。

後年、このシバイの音に「芝居」という文字を用いますが、もちろん全くの充て字であり、字義によって出来た言葉ではありません。

 

*芝居〔シバイ〕の語源について、辞書類は一様に「庶民が芝に居て(座って)演物〔だしもの〕を観てたから」と説明します。

⚫︎猿楽・曲舞・田楽などで、桟敷席と舞台との間の芝生に設けた庶民の見物席。《広辞苑

⚫︎猿楽の興行の際、舞台と貴人の席との間の芝生に庶民の見物席が設けられていたことに由来する。《大辞林

⚫︎猿楽等の芸能を寺社の境内で行った際、観客は芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して芝居と呼んだ。《Wikipedia

 この辞書の内容は「芝居」という漢字の意味をせっせと説明し、これがシバイの語源であるとしてます。

或る言葉の意味を探ろうとする時、それに使われる漢字対しに、殆んど無思考状態で反射的に反応してしまう典型です。(音が先だと、何故、分からないのでしょうか。)

 

◇古い時代、シバイとは娯楽演劇の事ではなく、五穀豊穣や子孫繁栄を願って、また悪霊退散などを行う “見立て踊り” というものでした。

興行といったものでは無く、集落内で行われる祭りの催し物(行事)としてです。それは猿楽などが生まれる遥か昔からの事だったでしょう。

更に云うと、シバイとは演者の行為(演技)そのものを指しますよね。昔は違ったのでしょうか? そんな事は有りません。これは昔も今も変わらないでしょう。では何故そこに、客席が出てくるのでしょうか。

「シバイ観る」ではなく「シバイ観る」が正しい表現とすならば、花見もシバイと呼んでいい? 打ち上げ花火もシバイになりますか? 皆、芝に座って見ますよね。

客席由来説は、“芝居”という漢字表記を見て、その字義から手繰る想像解釈に過ぎない、と言わざるを得ません。

一つの説として扱われるのであれば別段問題は有りません。しかし、全て(確認した訳ではありませんが)の辞書で “動かぬ定説” と言わんばかりの統一見解は、如何なものでしょうか。

 

*自然界を司る「目には見えない大きな力(カツキ)」を、人々はカムヂ、またカミと呼びました。実際には見えないけれど、視覚化させるべく、衣装を纏い面を着けた非現実的なモノを作ります。

これをカミと見立て、時には荘厳に、時には滑稽に、福を招き邪気を祓う、そんな願いを持って動作を繰り返します。このカミ(演者)の振る舞い行動を、ツツ・マキ、つまりシバイと呼びます。

 

◇「接頭辞
 日本語の表現方法の一つとして、状態や行動を表わす語を一音で表わし、これを別の単語の頭に置き全体として一単語を成す、といった形があります。

例えば、「居る」という語を「イ」の一音とし、スワリ・イる→イ・スワリ(居座り)という言葉になります。
他にも、イ・ナラビ(居並び)、イ・ノコリ(居残り)など同様の表現は多くあります。

「作業」を「シ」の一音とし、コトを・する→シ・コト(仕事)、ナオシを・する→シ・ナオシ(仕直し)、報復を・する→シ・カエシ(仕返し)、使い終えた巻物は綺麗に巻き戻しておく→シ・マキ(終〔シマ〕い)など。

この一つに、マイを・する→シ・マイ(芝居〔しばい〕」という語もあります。 ※このマイ(マキ)は舞ではなく「行為」全般を指す。

ここで使う「シ」の音は勿論、ツツ→シシ→シと転じたもので、原音は「動き」や「連続」などを表わす音「ツツ」です。

 

◇「獅子舞」「龍舞
 ツツ・マキ→シシ・マイ(獅子舞)と転じる。これもまた演舞の一つです。この充て字表記から、正月などに獅子頭〔しし・かしら〕を被った吉祥舞踊の形で行われるようになったのでしょう。

龍舞もまたツツ・マイです。龍の音読みリュウも、訓読みタツも、ツツが原音であり是の音から始まった経緯は獅子舞と同じと見ていい。

*中国では、獅子舞を舞獅〔ウーシー〕、龍舞を舞龍〔ウーロン〕と書きます。日本とは漢字の並びが逆です。ツツ・マイが原音とした場合、中国の書き方(漢族仕様)は成り立たちません。

獅子舞も、龍舞も、大陸の国が発祥とされます。しかし、それは漢民族の風習では無く、彼の地の「先住民」の文化であり、彼らの使っていた言葉(支那語)では、舞獅ではなく獅舞であり、舞龍ではなく龍舞であったでしょう。

これは、古い支那語が後〔のち〕の中国語ではない事を意味します。

そもそも、ツツ・マキという言葉は或る地域に住む人達にとって、クニを越えての人類語といっていい。それは世界中、とりわけ東方面一帯のアジア地域で、同じ様な祭り事が有ったとしても不思議では無いと云うことです。

そう考えると、元々東アジアの民族ではない漢族の語を使う国を発祥国というのは、何処か違うような気がします。

 

◇「相撲
 ツツ・マキ→スス・マイ→スマイ(スマウ)と転じた語と思われます。ここのマイは音便によってモウとなる。「舞〔マ〕いて」がモウて、「まいでる(詣る)」がモウデる、に変わるのと同じです。

スモウという語音について、一般的な説明では「争う」の古語がスモウ(スマウ)だったとします。ただ、スモウの音に争の字を充てる事はあっても、争の字にスモウの音は有りません。

或る一定の場所で、武器を持たない二人の男が動き回って闘うこと、これをツツ・マイと云ったのではないでしょうか。
また、チョチョマイ(狼狽〔うろた〕えてバタバタすること)といった言葉も、音としては同源(ツツ→ツォツォ)に違いありません。

 

*「竜巻
 風が一つの場所で激しく回り、天まで伸びる竜巻は、アツ・ツツ・マキのツツがタツになって、ウズ・タツ・マキとなった、というのが元の音でしょう。
※このウズ(正しくはウヅ)は渦ではなくアツ=大の意。宇受柱(大柱)の宇受〔ウジュ〕、宇豆毘古(大毘古)の宇豆、などと同じ。

アツ・ツツ・マキが後に短縮され、ウヅ・マキになり、さらにウヅ(渦=回転運動、螺旋形状)という意味の言葉になったと思われます。

 

*全て「ツツ」という言葉から成っており、この語の存在と、その意味を知らなければ、見えてこない言葉たちです。

 

「ツツキ」動作

【ツツ考】[020]___

◇「作業
 対象物に或るモノを接触させる行為をツツキという。強く当てますとタタキ(叩き)、軽く触れるのはソ・ダタキ(記の歌に、曽陀多岐)と言うのだそうです。

棒状のモノの先でツンツンやればツツキ(突き)ですが、それがグサッとめり込むとササリ(刺さり)です。グゥでゴツンとやるのはド・ツツキ(どつき)と、皆ツツキの音でできています。

面上を物体が移動している様子もツツキといい、ツツが音便によりトオに、キがリに転じてツツキ→トオリ(通り)になる。摩擦の動作はススリといい、ススリ・コキがスリコギになる。

雪上で使うソリ、髭剃り、これらのソリも元はソソリだったのでしょう。その状態を見ると、ソソリの意味は「滑らかな移動」というところでしょうか。

「スズリ(硯)で墨をススリ(摺り)、便りをツヅリ(綴り)、ポストに入れればトドキ(届き)…」全てツツキから作られた言葉です。

*ツツは動きを表わす言葉ですが、動詞では有りません。品詞の中で、名詞、副詞、また形容詞などは早い段階で存在していたと思われるが、動詞は意外に遅かったのではないでしょうか。

 

◇ツツから、ちょっと逸れますが…。
 動きを表わす言葉は単語の後ろに、カル、ケル、などを付けます。これが後に動詞になっていったと思われます。

例えば、アルキ・ケル→ アルク(歩く)、イニ・ケル→ イヌ(退ぬ)、などのように省略される。カルやケルは助動詞(動詞の後ろに付けて丁寧にする語)とするが、本来は名詞の後ろに付けて動詞化する語でしょう。

 

▽ちなみに。
アイヌ語で「酒を作る」をサケ・カル(sake kar)という様です。(サケは本土からの移入語)
また、魚をチェプ(chep)といい、チェプカル(chepkar)は魚料理という名詞になるという。

関西では刺身を「造り〔ツク・リ〕」といいますが、カルがクリになった「魚〔ヲ〕・ツ・クリ」ではないだろうか。
クリ(庫裡)、またクリヤ(厨房)は炊事場の意ですが、クリ(料理)のヤ(舎)が語源でしょう。

「つくる」という言葉は、例えば合掌造り(合掌・ツ・クリ)、子作り(コ・ツ・クリ)といった、名詞の後に付けた「ツ・クリ」の音が元かも知れません。

 

◇「機織り
 上代またそれ以前、機織りは女の嗜み事〔タシナミ・コト〕として必須であったようで、崇神記に「男弓端之調 女手末之調」とあります。

手末〔たなすえ〕とは手の先(指)を意味する語ですが、同時に手先を使った作業(たなすえ仕事)を表わし、ここでは糸布の製造をいいます。

それは后や皇女であっても例外ではない。ただ王族の女の場合は業務としてすることは勿論ないし、そんな作業に興味がない人も多くいたでしょう。

嫌いならやらなくて良い、というのが高貴な人の特権です。だが、中には機織りが大好きな人も居たに違いありませんよね。好奇心の問題ですから、そこに身分の尊卑など関係は有りません。

母親が熟練者なら、その娘もまた子供の頃から機〔はた〕の前に座ることになる。才能を持った者は周囲の大人たちを感心させ、褒められ、益々熱心度が高まっていった事でしょう。

 

孝霊天皇(七代)の妻の一人は機織りの技能が高かったようです。その娘と二人の異母姉妹、この三人も仲良く、或いは競い合いながら機織りをしていたと思われます。

*横糸を通すための道具を「梭〔ヒ〕」というが、これを操る作業を「ツツ梭」という。彼女達の手捌きは見事なもので、右に左に目にも留まらぬ速さで、飛ぶようであった。

織られた糸は見る見るうちにモモ(集積)となり、ソ(裳)になっていく。

彼女達の名には千千、登登、迹迹、の字が並ぶが、これらのチチやトトは梭を飛ばすツツ(移動)を表している。その中の一人は、トトヒ・モモソ・ヒメと呼ばれます。

《記》にある神名人名は、その殆どが固有名(身の名)ではなく、社会の中での役割や立場を表わす呼称ですが、ここにある比賣たちの名もまた本名ではなく、ある種の“あだ名”なのでしょう。

古事記
 大倭根子日子國玖琉命(孝霊天皇
 又娶 春日之千千速眞若比賣
    皇女・千千速比賣命

 又娶 意富夜麻登玖邇阿禮比賣命
    皇女・夜麻登登母母曾毘賣命
     弟・倭飛羽矢若屋比賣

《書紀》では、
  妃 倭國香媛、亦名絚某姉(記・阿禮比賣命
    皇女・倭迹々日百襲姫命
     弟・倭迹々稚屋姫命

これらの名は、機を織る様を表したものと思われます。千千速〔チチハヤ〕、母母曾〔モモソ〕、飛羽矢〔ツツハヤ〕。そして迹々日百襲〔トトヒモモソ〕などは「飛ぶ梭、績裳」を意味する描写でしょう。

 

▽ちなみに。
 奈良県桜井市にある箸墓古墳は、この倭迹々日百襲姫命〔ヤマト.トトヒ.モモソ.ヒメのミコト〕の墓と言われています。また、邪馬台国畿内説を主張する人達のなかでは、この女性が卑弥呼ではないかとされます。

 

「ツツ」這。鼓。飛。

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【ツツ考】[019]___
 ツツカ

◇「
 筒木宮に行ってしまって戻って来ない石之日賣に対して、大雀(仁徳)は口子臣を迎えに遣り、「何故、帰ってこないのか。何をしているのか。」と問うた。

これに対し日賣は答えて「いえ、大意は有りません。ただヌリノミが奇異〔けったい〕な虫を飼っていると聞いたので、見に来ただけです。」と、次のような事を言います。

《仁徳記》
 奴理能美 之所養虫
 一度 爲匐虫
 一度 爲鼓
 一度 爲飛鳥
 有變三色 之奇虫
 看行此虫 而入坐耳
 更無異心

 ヌリノミが養いし虫
 一度〔ひとたび〕は、ツツカ(匐虫)為し、
 一度は、ツツミ(鼓)為し、
 一度は、ツツキ(飛鳥)為す。
 三色〔みぐさ〕に変わる、これ奇しき虫有り。
 此の虫見に行かんと、して入り坐ましじ。
 異〔あだ〕し心、更に無し。

 

[匐虫]ツツカ。⑴ 幼虫。⑵ 農民。平地(土中)で作業する者。◇ 匐虫を「はうむし」と読み下していたのでは、これを書いた人の意図が伝わらない。這う(匐)はツツであり、虫は総じて「カ」という。よって、這う虫をツツカという。亦名ゾゾムシ。
別の語で人工的に造った平地をツツカといい、其処で野良仕事をする者を指す。

また、虫はムシとも云います。この音はツキ→ブキ→ムシと移ったものであり、ここではツキ(の人)の意も含まれているのかも知れません。

[鼓]ツツミ。⑴ 繭。⑵ 族長。垣で囲まれた屋敷(地上)で住まう者。◇繭にくるまれた幼虫はツツミ(包み)ですが、ここでは同音の鼓の字を充てる。また、集落の長〔おさ〕をツツミといっており、ずっと後代にはこの音に堤や堤下〔ツツミモト〕といった文字も充てる。

[飛鳥]ツツキ。⑴ 成虫。⑵ 大王。高台の大宮(天空)に君臨するモノ。◇「飛ぶ」という語はツツ→ツブと転じてできた言葉であり、鳥の字は鳥類だけを言うのでは無く、羽を持った生き物全般(キ)を指します。

よって、ツツキは「飛・鳥」の表記になります。王城の地もまたツツキといい、大王〔オホキミ〕は別名でツツ・ツキ(スベラキ)という。

*ツツという語は、移動、広がり、覆い、など様々な使われ方がありす。この“三色之奇虫”で使うツツの音は、各々二つの意味を含ませた諷言〔なぞらえごと〕といえるでしょう。

▽ちなみに。
「有變三色 之奇虫」と書かれる行ですが、「異」の字を入れて「有變三色 之奇虫」とするのが良くはないか? この方が一行目との並びも良くなるし、全体のバランスもとれるように思う。

 

◇恐らく元は農民だった。その息子が一代で或る地域の有力者(豪族)になった。品陀和氣(応神)である。その勢力はますます激しく領地を拡大させていき、遂に中央までも制覇した。

そして、その嫡子が今は大王になっている。大雀(仁徳)である。この連中がやって来るまでは、広くこの辺り一帯の支配者(王)は筒木(木津川西域)に大宮を構える一族の首領だった。

石之日賣の心の内には『世が世なら、お前如きが私を妻になど出来はしない。この成り上がり者が。』という憤懣が渦巻いていた、とすれば…。それが此の虫の話に(精一杯の厭味として)表れているとは云えまいか。

石之日賣の父・葛木之曽都毘古のソツビコという名はサチヒコとも発音される。武内宿禰の子に葛城長江曽都毘古の名もあり、これらは個人の名ではなく、ツキツキから転じた音と思われます。(ツキツキ→スチブキ→サチビコ)

アキツキ(王)と成るべき父が、今はツキツキ(仕える者)と呼ばれている、その事にも口惜しさを感じていたのかも知れません。

石之日賣の、その時代背景にそぐわぬ言動は、彼女の内にある自尊心に因るものからと考えれば、腑には落ちる。

 

▽ちなみに。葛城のカツラ・キという音は、村(カムラ・の地)、首領(カシラ・の人)、などに充てた文字であり普通名詞です。よって、地名としては何処にでも有り得、大阪の南にある葛城だけを指すものでは有りません。

 

「ツツ・ツキ」鳥

【ツツ考】[018]___
ツツトリ

◇「
 鳥も空中を移動するのでツツキ、またツツ・ツキ、が基本音です。古代から中世にかけて一般的に使う鳥の呼称は、カツキ、カツミ、ツツキ、ツツミ、ツツトリ、などと呼ばれます。

飛行するという特殊な能力を持つ生き物であり、敬意を持って、キツ・ツツ・ツ・カツキ・ツキ、という言い方も為されます。(キツは空、カツキ・ツキは強い鳥)

 

*「カツキ
 元の音はツツ・カツキであったろう烏〔カラス〕ですが、好嫌両方のイメージ有ります。どちらにしろカツミ(水鳥=益鳥)とは違い、カツキ(強い系)です。

さらに音が膨らんでカラツキ、またカラキと呼ばれる。カラキ→カラシ→カラスとなって固有名となる。

鳥の名で末音にスが付く(カケス、ホトトギスなど)は、キからスに転じた音です。世界を見渡しても、ギリシャ神話など、神名や人名の末音が「ス」になっているのを見掛けますが、キ(「者」の意)から転じたと思われます。

*カラスという名は「鳴き声からきてる」という説があります。分かり易いので、多くの人が当然の事として受け入れがちです。しかし、これが真実かどうかについては、もう少し懐疑的であった方がいい。

*「カツミ
 水鳥などは、キツ・ツツ・ツ・カツミ・ツキ(キツは水、カツミ・ツキは良い鳥)の音になる。カツミがカムミ→カモメになり、カツミ・ツキ→カモメ・トリ(鷗鳥)、カムツミ・ツキ→カモ・トリ(鴨鳥)の音となってゆく。

キ(キ)がアキと発音される。またキはイ・チ・ヂ、などに転じることで、アキ→アイ鴨、アヂ鴨。また、キツがイサ(キサ)に変わって、アキツ→アイサ(秋沙)鴨。ヒルに転じて、アキツ→アヒル鴨などの音になり、後に種の名になっていく。

 

*ツバメ(燕)はツツミでしょう。元はツツ・カツミであり、これが省略してツツ・ミ、さらに転じて、→ツブミ→ツバメ、の音移動が推測される。

燕は人にとって益鳥であり、また軒先で子育てをする姿に心が和む感覚は、今も昔も差はない。よって、褒める接頭語・カツが乗り、カツ・ツツミの名でも呼ばれる。

*古い時代、大坂北摂地域の遊び歌の一節に「ツバメは土喰て、くち ちぃぶい、くち ちぃぶい。」というのがありました。子供らがツバメを見て口遊〔ずさ〕む「くち ちぃぶい」とは何か。

  • 土を咥〔くわ〕えて、口渋い。
  • 古い呼び名のカツ・ツツミが、クチツツムィ。
  • ツバメの鳴き声、チーチー。

これらを重ねて掛けていると考えられます。

 

カワセミ翡翠)は小型の美しい鳥であり、ツツ・カツミと呼ばれるが通常はカツミです。この音が、カツミ→カハスミ→カワセミ、と転じる。

 

◇「ツツキ
《書紀》一書曰(五)では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の国生みに際して、次の様な記述があります。

    遂將合交而 不知其術
 時有 鶺鴒飛來 搖其首尾
    二神見而學之 卽得交道

  遂に合交なせど、其の術〔すべ〕知らず。
  時に、鶺鴒飛び来て、其の首尾を揺らし。
  二神、見学〔みまなび〕て、即ち交道を得る。

(※後ろの行は「二神見學而 卽得交道」ではないだろうか? 之の字?)

*鶺鴒を現代ではセキレイと読む。《図説・日本鳥名由来辞典》では「ツツは鶺鴒〔セキレイ〕の古名」としている。

しかし、此処での鶺鴒はツツキと読むべきでしょう。合交を表わす語も同じ音(ツツキ)であるところから、この鳥を見て二神は子作りのやり方(ツツキ)を知ったという事です。

つまり「鶺鴒〔ツツキ〕が飛来(ツツ・キ)て、首尾を揺らし(ツツキ)て、交合(ツツキ)した」という事ですね。これによって交道(交わり=ツツキ)の方法を知るのです。

 

◇「ツツトリ
 かつて鳥の呼称として、ツツトリ《日本霊異記》、フフトリ《倭名類聚抄》、ホホトリ《類聚名義抄》などもあったらしい。だが、これらは固有名ではなく或る種類を広く指す語と思われます。ポンポン鳥などの呼び名もあるようですが、ツツトリやホホトリからの転音でしょう。

表記にも色々あり、乳鳥、知鳥、千鳥、知等里、智杼里、これらはチドリの音に充てた字です。ツツトリが元にあり、チチドリと転じた音のチを一つに省略した音というのが分かる。他にも、都都鳥、筒鳥、などと書く。

 

◇「大王
 ツツ・ツキはツツトリと転じるのだが、もう一つの転音であるツツ・ヌキの音には首領の意があり、アメツツ、ツツ・ヌキは、王を表わす語として使われる。

《神武記》にある次の歌は、伊須氣余理比賣が詠ったとする。

   爾大久米命
   天皇之命
   詔伊須氣余理比賣 之時
   黥利目 而思奇歌
 曰 阿米都都 知杼理 麻斯登登
   那杼 佐祁流斗米

  ここに大久米命
  天皇の命(御言)をもって
  伊須氣余理比賣に詔〔ミコトノリ〕し時
  黥利目(文身の目)を、奇〔アヤ〕しと思い、
  歌いて曰く、
  アメツツ チドリ マシトト
  など(なぜ)サケルトメ(割ける と目)

*《記》の中で、この歌は伊須氣余理比賣が詠った。また、一般的に「阿米都都 知杼理 麻斯登登」を、それぞれ三つの鳥の名とする。果たして此れら解釈は正しいのか。

アメツツ、ツツトリ、マシトト〈天飛ぶ、ツツヌキ、坐しつつ=王が御出ましになったぞ〉の意であり、大久米命が伊須氣余理比賣に対して云う言葉だと思われます。

「那杼 佐祁流斗米」〈ナドサケルトメ〉とは、ナゾ、スケノツメ(汝ぞ、ツキツミのツメ=あなたが、王の妻になる)が本来の意味ではなかったか。古い話であり、伝承の過程で早くから少しずつ解釈がずれていったかと思われます。