「数のこと」四と八(1)

数[026]___
」と「

◇「数の組合わせ」五組。
 [小・大]       (原音)
  一:二  ヒィ:フゥ(キツ:カツ)
  三:六  ミィ:ムィ(キィ:クィ)
  四:八  ヨォ:ヤァ(オツ:アツ)
  五:十  イツ:トォ(キツ.ツツキ:ツツキ.ケル)
〈端数〉
  七:九  ナナ:ココ (ナナ.ツキ:クク.ツキ)

 

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◇「」と「」の音
日本の数のかぞえ方で、四はヨツ、八はヤツ、と言いますが、これらを表す音の作られ方は、オツとアツから始まります。

 

◇「アツ」の意味
アツという音には様々な意味があります。その中の一つ、量的なモノを表す語としても使います。その場合、アツの他に頭に予唸音・イが付いてィアツ(ヤツ)という音も使われたようです。この語が持つ意味として、概ね次の種類があります。

①「優れたモノ」 ②「規模や量」
③「長さの単位」 ④「数の8」

 

①「優れたモノ
接頭辞として単語の頭に置かれる。大きな国、力を待つ者、などを表します。また賛辞、褒称、を表わす接頭語としても使われます。

  • アツ・カツマ(優れた土地)がヤツ・カシマに転じ、この音に上代の人が「八・嶋」の字を充てました。ただ、記紀では「八つの島」と解した話が作られています。
  • ホコ(矛)の原音はカツキであり、これがカツキ→ホツコ→ホコと転じる。頭にキツの音が乗り、キツ・カッキ(矛)がチム・ホツコ→チン・ホコと転じます。
    ヤチホコ(八千矛)とは、更にアツが乗り、アツ・キツ・カツキがヤツ・チム・ホツコ→ホコと転じた語。表面上の意味は「多くの矛」ですが、もじって「多妻者」をいう。“ 沢山のチン・ホコを持つ者 ” の意。(※神名人名・7「超優越」の項、参照。)

 

②「
大きい・多い・広い、などの意を基本とする音。とても(迚も)、はなはだ(甚だ)、といった副詞。また、全部、全て、などを表わす時にも使う。

  • 海を表すアツ・カッカ(広大な・面)はアカツカという語の他に、ィアツ・クァツタ→ヤツ・ファツタ(ヤハタ)とも表現します。※ヤツやハツタのツの音は省略音。
  • カマシイは、アツ・カマビスキ(とても・騒がし)という語が、ィアツ・カマスキ→ヤツ・カマスイ、と転じた音と思われます。
  • ヤツザキという語は「八つ裂き」と書きますが、元の語はアツ・サキ(全部裂く。粉々に切り裂く)というもので、決して数の八つではなかったでしょう。

 

③「長さの単位
長さの基本単位は、身近で分かり易くある程度の普遍性がなくてはなりません。そこで多くの場合、身体の部分が使われます。尺や寸といった日常で使う長さの単位は掌や拳を使います。

オツ:握った拳〔コブシ〕一つ分の幅。半分。予唸音・イが乗り、ィオツ→ヨツに転じる。◯長さとして半尺。

アツ:両手で握った時の拳幅二つ分(両手直列)をいう。アツの頭にイの音が付き、イアツ→ヤツの音になる。◯長さとして八寸=一尺。今の長さで、凡そ15~16cm。これが寸法を示す基本単位となります。

※現在は十寸で一尺ですが、当時は八寸で一尺だったと考えられます。大陸の国でいうと周と同じです。他に、九寸で一尺、という国もあります。
「十寸=一尺」が当たり前ではありません。

 

▽ちなみに「縄文尺
三内丸山遺跡には六本柱の巨大建造物があったという。その柱の間隔を測定すると全て同じであり、その長さはどれも32cmで割り切れるらしい。

そこから、縄文時代(少なくとも三内丸山集落)では、32cmが長さの基準だったのでは、という見解が出されています。

しかし、両拳を直列に合わせた幅がヤツカ(一尺)であり、凡そ15〜16cmと考えると、これが基本単位ではないでしょうか。すると、32cmはフタ・ヤツカ(二尺)になります。或いは、拳四個分で一尺としていたのでしょうか。

※上の文章で、とりあえず「尺・寸」の文字を使いましたが、漢字などは勿論、未だ存在すらしていない。かつて、この集落に暮らしていた人達が、シャクやスンといった言葉を使っていた訳では無いのは、言うまでもない事です。

 

*「ヤツ・ツカ
《神世記》
  須佐之男
  不知所 命之國而   命じた国を治めず
  八拳須 至于心前   ヤツカ髭、胸まで至るも
  啼伊佐知伎也     泣いてばかりいる
(※須の字は鬚〔ヒゲ〕と同じ)

《垂仁記》
  是御子
  八拳鬚 至于心前   ヤツカ髭、胸まで至るも
  眞事登波受      言葉が喋れず
※御子とは、本牟智和氣

*此処にある「八拳鬚(須) 至于心前」〈ヤツカ ヒゲ ムナサキ ニ イタリのヤツカとは、人の動作を考えると、両手で掴める程にまで伸びた長さ(ヤツ・ツカ=一尺)、また心臓がある胸の辺りまで、といった意と解するのが自然ですね。

「八拳鬚 至于心前」とは即ち、大人になって尚、長い時間が経過している、そんな状〔さま〕を表す当時の言い回しだったのでしょう。

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④「数の 4と8
手でモノを握るという動作は、親指と他の指たちで対象物を包むような格好になります。その際、親指以外の指が行儀良く並びます。

*片手の場合はヨツ(元はオツ)といいますが片手なので、少量、半分、途中、といった意味を持ちます。またこの時、並んだ指(親指を除く)の数が4本であるところから数の四もヨツと呼ぶようになります。

*両手で握った時はヤツ(元はアツ)という。意味は、大量、全部、完結、などを表します。この時、並んだ指が8(4+4)なので、ヤツは数の八を表わす語にもなります。

 

◇「ヤタ
八咫烏〔ヤタ カラス〕のヤタは、「多くの」の意で間違いないでしょう。戦闘集団(アツ・カラツキ)を表します。

八咫鏡〔ヤタ ノ カガミ〕のヤタは判断が難しいですね。ヤタが「規模」を意味するならばアツ鏡(大鏡)、「寸法」ならば直径八寸の鏡(一尺鏡)の意になります。

*只〔シ〕や寸の元の音はキであり、指を表わす時に使った。一寸とは指一本分の幅だったのでしょう。

「咫」の字は尺と只を一つにした形ですが、ヤタを表す文字として八咫を使っています。この表字を見て「咫はタと読む」とか、ヤツ・アタを元の音として「咫はアタと読む」などの説明を目にします。

実際には、アツがヤタと転じた意に咫の字を使うのですが、それでは音がアタかヤタかが分からない。そこでヤの音である事を示すべく、八の字を載せているに過ぎません。

よって、八咫の二字を以ってヤタと読むのであり、咫の字だけを取り出してどう読むかなどの詮索は意味が有りません。

 

 

◇「縵四縵矛四矛」と「縵八縵矛八矛
《垂仁記》
 又 天皇
   以三宅連等之祖 名多遲摩毛理
   遣常世國 令求登岐士玖能迦玖能木實
   故多遲摩毛理
   遂到其國 採其木實
   以縵八縵矛八矛 將來之間
   天皇既崩

 爾 多遲摩毛理
   分縵四縵矛四矛 獻于大后
   以縵四縵矛四矛 獻置天皇
   之御陵戸 而擎其木叫哭以

    ー〈以下、略〉ー

◯タジマモリは天皇の命を受け、トキジクの実と縵八縵矛八矛(沢山の縵、沢山の矛)を持ち帰った。ところが天皇は既に亡くなっていた。そこで、縵四縵矛四矛(持ち帰った縵や矛の半分)を大后に献上し、半分を天皇の墓に奉った。

 

四縵〔ヨツ・カヅラ〕
ここでのヨツ(イオツ)は全体の半分、二分の一、一対の片方、などの意です。

八縵〔ヤツ・カヅラ〕
沢山のカヅラ。ここでのヤツ(イアツ)は「多い」「大量」、また「全て」などの意味。

 

*ヤツは全部、ヨツは半分、というのが一般的な使い方でした。これらの音に八や四の漢数字を充てました。

量的なモノを表す場合、その言葉の音と同音の漢数字を充てることが多いです。あくまで同音であって同義ではあません。よって、字義は無視しなくてはならない。

字義は無視する、多くの人はこれが出来ない。だから例えば、八十〔ヤソ〕神を「80柱の神様」と言ったり、八百萬〔ヤヲヨロヅ〕の神を「日本には800万柱の神様が居るのです」などと吹聴する人が絶えない。

漢数字表記には気を付けないといけない。字義解釈は人を惑わす。