5-2「邪馬台国」

地名国名[018]
5、アツキツ・カツマ〈2/3〉

◇「邪馬臺国」と「邪馬壹国

ここでは『この国が何処に在ったか』を論じるものでは有りません。あくまでも国の名について、その音と成り立ちのみに焦点を当てたものす。

⑴「(台)」の場合。
 アツキツ・カツマ→ ィアムキツ・カツマ
         →ヤ マシロ・カシマ
          耶 摩 代  国 →邪馬台国

[説・1]初めはアツキツから転じた(→ィアツシロ)ヤツシロの音であり八代の字が使われていた。アツは、→ィアツ(ヤツ)→ヤブ→ヤム→ヤマと転じ、この音に耶摩の文字を充て耶摩代〔ヤマシロ〕と表記された、という流れだったのではないか。

ところが他国(おそらく大陸の国)の者によって耶摩が邪馬に変換される。さらに、代〔シロ〕の文字をタイと読み、同音の台〔タイ〕に変えられてしまう。

ただ、邪馬は見下し文字でしょうけど、代と台の字に関しては貴卑の差がそれ程ある訳でも無く、わざわざ文字を変える理由が判然としません。


⑵「(壱)」の場合。
 アツキツ・カツマ→ィアム キツ・カツマ
         →ヤマ イツ・カシマ
          邪馬 壹  国

[説・2]アツが(→ィアム)ヤマの音に移り、キツがイツになり、アツキツがヤマイツに変わる。この音に邪馬壹(または耶摩壹)の文字が充てられた。

これを見ると、台より壱のほうが成り立ち易〔ヤス〕いように見える。

 

*邪馬台にしろ邪馬壱にしろ、これらは誰によって、どんな経緯〔イキサツ〕があって、この表字がなされたのか。一般的には、他国者が日本人の発音を聞いて、その音に文字を充てたと云う事になっています。

しかし、八代が邪馬台に変わったのかも知れないと思うと、或いは当地の者の手によって、クニの名(耶摩代國、耶摩壹國)として書かれたものがあり、その字を(大陸人が)卑字に書き換えただけ、という可能性も有り得るのでは、と思ってしまいます。

この事は、三世紀の時点で日本列島に有った沢山のクニ(キツ・カツマ)のうち、何処かのクニでは既に漢字が使われていた、という事を意味します。

 

 

◇「ヤマト」との関係は?

邪馬台〔ヤマタイ〕とヤマトは「音が似てる」というだけで結び付ける人がとても多い。

  • ヤマタイのヤマは「アツ」が、アム→ィアマ(ヤマ)になる。
  • 代〔シロ〕の元の音は「キツ」です。
  • 台(タイ)の元の音は「ツキ」です。
  • 壱(イツ)の元の音は「キツ」です。
  • ヤマトのヤマは「アキ」が変異してアキ→*天→アメ→ィアマ(ヤマ)になる。
  • ヤマトのトは、元の音が「ツ」です。

「天」の字を、アキの音に充てる族と、アマやアメと読む族がおり、これらは別の部族である。)

*この様に見た場合、ヤマタイとヤマトは、元の音(アキツ)は同じだったとしても、転化の形が全く違うし、別の名とさえ言える程です。

この二つの語は、異なる部族が使っていた別の呼称であり、直接の繋がりは無いと考えます。

 

*ヤマトに山門の字を使っているのを見掛けます。これを拠り所にヤマトのヤマを山とする考え方が生まれます。

  1. ヤマトのヤは「」であり、基音はア。
  2. 山〔ヤマ〕のヤは「」であり、基音はイ。

上記の1と2では、同じ「ヤ」の音であっても原音が異なります。ヤマトに大和の字を充てた人は、ここにあるヤが「大」の意を持つ音(1のィア)である事を知っていた。山門の字を使った人は、それを知らない人ということです。

※「」(や行音)は色々な音から移ってきます。例えば ─、
◯ア→ア→ヤ。
・焼津〔やいづ〕会津〔あいづ〕は、共に元はアキツだったでしょう。アツがヤツになります。

◯キ→キ→イウ(ユ)→ヤ。
・矢は細い棒ですから、元はキと呼んでいたのが、後に「ヤ」になる。

◯ツ→チ→イ(ユ)→ヤ。
・山はカツマがカユマ→カヤマと転じたものなので、このヤマのヤはツから転じた音。

 

 

◇「おさらい」
 水に囲まれた「陸地」も、広い陸地の中の「或る地域」も、カツマといいます。一般的には頭にキツを付け、キツ・カツマと呼びました。

その中でも規模が大きなカツマは、大の意を持つ「ア」を乗せアキツ・カツマになります。更に大きなカツマや主幹国になると、アが膨らんでアツやアムと発音される。このアに予唸音・イが始発音となって、ィア(ヤ)になる。

このヤキツが色々な音に転音し、次のような音になります。※それぞれ後ろにカツマ(国)の語が付く。

◯「八代」〔ヤツシロ〕
アキツ→アツキツ→ィアツシロ(ヤツシロ)

◯「山代」〔ヤマシロ〕
アツキツ→アムシル→ィアマシロ(ヤマシロ)

◯「山科」〔ヤマシナ〕
アツキツ→アムシヌ→ィアマシナ(ヤマシナ

◯「邪馬台」〔ヤマタイ〕
アツキツ→ヤマシロ→山代→ヤマタイ→邪馬台

◯「邪馬壱」〔ヤマイツ〕
アツキツ→アムイツ→ィアマイツ(ヤマイツ)

◯「大和」〔ヤマト〕
アキツ→天都→アマト→ィアマト(ヤマト)
※アキのアの音に大、アキのキに委の字が充てられ、「大委・国」が初めの表記ではなかつたか? 後に委はイと発音されるが、大陸の者によって委に人偏が付けられ倭になり音もワになる。

更に時代が下って、「倭」が卑字である事にやっと気付いた日本人が、同じワの音を持つ好字「和」に書き改めたという事でしょう。

日本を表わす文字として、和服、和食、和風など、すっかり定着してしまった和(音としての「ワ」)ですが、実は委〔イ〕が始まりであった。