地名国名[019]
5、アツキツ・カツマ〈3/3〉
◇「漢委奴国」
広い土地や、或る地域を表す呼称はキツ・カツマといいました。これに大を意味する音のアが頭に付いて、アキツ・カツマになる、というのは既に前項で説明しました。
更にアの音がアツと膨らんで、後にアンやアムにも転じる、というお話もしましたね。その上で、アムが「クアム」になったとしたら…、という説です。
⑴ アツキツ・カツマ→クアム イナ・カシマ
漢 委奴 国
キツの音が、→キヌ→イナ(またはイヌ)と転じて、キツ・カツマがイナ・カシマの音になる。
漢の字は、アツがアムに転じ、予唸音クが付いて、クアツ→クアム(カム)となった音に漢の字を充てる。
*別のルートとして。
⑵ カツ、キツ・カツマ→カン、イナ・カシマ
漢 委奴 国
キツ・カツマから転じたイナ・カシマに、褒称の接頭語・カツを冠して、カツ・イナ・カシマになるが、カツは後にカンまたカムに転化する。
◇「漢」の字について考えてみます。
福岡県の志賀島〔シカノシマ〕で、1784年に発見された純金製の印には、漢委奴国王と陰刻されています。さて、これはどういう意味の文字列でしょうか。
通説では、漢の字を*支那という解釈で定まっているようです。(※支那=ここでは大陸に有る国の総称とします)
漢委奴国とは即ち、「漢」を宗主国とする「委」という国にある「奴」と呼ばれる「国」、という事ですよね。しかし、これは正しいのでしょうか。
*記紀にはカツ、カン、カム、カモ、などが頭に乗った名をよく目にします。鹿ツ葦津姫〔カツ・アシツヒメ〕、神倭伊波禮毘古〔カム・ヤマトイハレビコ〕、鴨武津身〔カモ・タケツミ〕…、こんな形の名が幾つも出てきます。
これらは、褒賞や讃美を表わす接頭語・カツ(またその転化音)に、鹿ツ(カツ)、神(カム)、鴨(カモ)などの字を使っているに過ぎず、それぞれの字義にその名の意味を求める必要は有りません。
これと同様に「漢委奴国」の漢の字もまた、カンの音を表わす為ものであり、何処かの国を指している訳ではないと考えられます。
◇「委」の字を倭(人偏付き)にしたがる人達が今も後を絶たない。魏志倭人伝の倭の字も本来は委であろうし、金印(漢委奴国王)は明らかに委です。
これを『もとは倭だが人偏を省いて委にした』と言う人がいますが、それは逆でしょ。倭の方が卑しい文字なのだから、委に人偏を付けて倭にする事で貶めたと見るのが自然でしょう。
◇「カンのワのナのコク」って何?
漢委奴国王の読みは本当に「カンのワのナのコクオウ」でいいのだろうか? 例えば、秋津島を「シュウのシンのトウ」と読んでることにならないか。「カンのワの・・・」という読みは、これと同じ事をしている様に思えてなりません。
秋津島は日本語なのだから同列に並べるのは違う、と反論があるかも知れません。でも、漢委奴国王が漢民族語に依る表記だとも言い切れない。
始めに示した様に、現に日本語で読めてしまうのです。これをどう解釈すれば良いのでしょう。
天津国〔アマツ・クニ〕の天津がテンシンに、青島〔アオ・カシマ〕がチンタオに、なってしまった。キツ・カツマの音がイナ・カシマと発音され、これに「委奴・国」の字を充てた。それを今は、ワナコクと読んでいる。
大陸の太平洋側で使われていた一般言語が、ある時期、別民族の言葉へと劇的に入れ変わった、としか思えない。
◇「委国」と「倭国」
委国また倭国の表記が作られた経緯には、幾つかの形が考えられます。次に示す1・2・3のうちのどれかに違いありません。
- キツ・カツマがイツ・カシマと転じて、委ッ国と書いたが、委が卑字の倭に変えられた。(国の字は一字でカツマ、またカシマ)
- カツ・カツマ→ワツ・カシマになった音に倭ッ国を充てた。カツ・カシマは、加賀国〔カ・ガシマ→カガのクニ〕、また妣国〔カ・カシマ→カカのクニ〕になる。(ここでの国はシマの音)
- カツマ→ワシマと転じた音に倭国の字を充てたとしたら、輪島〔ワシマ〕、宇和島〔ウワシマ〕、或いは沖縄島(アキツ・カツマ→オキナ・ワシマ)などと同じです。
◇「ワコク」って何んだ?
委国の委はイであり、国はカツマです。委国は「委ツ国」であり、音はイツ・カシマでしょう。或いは、転音する前の、キツ・カツマ、だったかも知れません。
何れにしろ、弥生時代の日本人にとって国はカツマ(またカシマ)であり、コクなどとは言いません。従って「ヤマタイ・コク」や「ワ・コク」といった名で呼ばれる国は、過去のどの時代にあっても、この地球上には存在しません。
上代またそれ以前の日本列島に住む人達が、自分たちの国をコクなどと言ったりはしない。キツ・カツマは本来、普通名詞なのでそう呼ばれるクニは沢山ありますが「ワ」という名の「コク」など、存在しない。
「日本は昔、ワコクと言った」と、よく耳にします。言わない。絶対言わない。