8-1「筑紫国」

地名国名[023]
8、ツ・キツ・カツマ〈1/3〉

○「筑紫国
 ツ・キツ・カツマ→チ・クシ・カシマ
          筑  紫 国

 筑紫(チクシ、またツクシ)とは、キツの頭に「ツ」が乗ったツ・キツから転じた音です。或る場所から見て西方面にあるキツ・カシマをいいます。

筑紫平野は、有明海に面した広い平地をいいます。ここは九州一の稲作地であり、地理的条件を見ても、古代から発展していたのは間違いありません。

ただ、この地をチクシと呼ぶのは、ここより東から見た場合であり、地元の人ではありません。ここは北部九州の西側で、東の端にあるのが国東〔クニサキ〕と呼ばれる地ですね。

 

◇九州は山口県の西にある。山口は広島から見れば西方面だし、その山口・広島も岡山からは西にあります。これら見る位置によって西にある国キツ・カツマは、皆チクシ・カシマなのです。

*全国に有ったであろうチクシの中で、九州のチクシは九州東部からは勿論、本州側のどこの国から見ても西にある地だった。また、大和とは一線を画し長らく独立を保っていた。

そんなところから最終的に地名として、この地のチクシだけが残った。(出雲が地名として残ったのと似ています)

だが、固有の地名がまだ定まっていなかった上代以前に於いては、その限りではありません。従って、記紀にある筑紫を全て九州とする訳にはいかない。西の国の意で使う普通名詞であった可能性があるからです。

 

○「西国」
 四国を西国というのは、京大坂から見た呼び方です。すると瀬戸内海沿岸にあるカツマ(国)も西国でしょう。これを上代以前の言葉で言えば、ツ・キツ・カシマ(チ・クシ・国)であり、またツ・カツマともいいます。

難波から見て、近場でいえば北摂地域(尼崎から神戸にかけて)も西国です。この辺りは、かつて「津の国」と呼び、後に摂の字を乗せ摂津国になった。津国の津とは船着き場の意とされ、“兵庫の湊” がある事から、そう呼ばれたという。

本当でしょうか。

この地は難波〔ナニワ〕から見れば、かつて海を隔てた “西対岸” にあり、ツ・カシマ(ツシマ)です。この音に津国という字を充てた、と考える方が合理的でしょう。

その難波もまた河内や大和から見れば、「押し照るや」の西郷であり、ツのクニのナニワ、などと呼ばれたりもします。

*西国や西郷は「ツキツ・カツマ」のツキツに西(表意)の字を用い、津国や津島は「ツ・カツマ」のツに津(表音)の字を使った、という事ですね。

 

◇凡そ西方面を表す語は、頭にツやス(ツからの転音)が付いたツ・キツ(チクシ、ツクシ)や、ツ・アツ(タツ)、ス・アツ(サツ、サタ)といった音になっています。

山口県と九州の間にある海を周防灘〔スオウ・ナダ〕と言いますが、スオウはツ・アツが、ス・ゥアツ→スヲウと転化した音でしょう。ス・ゥアはスワ(諏訪)の音にもなります。

佐賀はスアツ・カツマ→サツ・カ(佐ツ賀)、佐多岬はスアツ・カサキ→サツ・崎→サタ・岬、などは分かり易い例です。全て西の地をいいます。