8-2「薩摩国」「宝島」

地名国名[024]
8、ツ・アツ・カツマ〈2/3〉

◇「サツ」という語。
 アツの頭にス(元はツ)を付けると、西方面を表わす語になる。日が頂点を過ぎて下ってゆく側の方向全般をいう。また北方面や寒冷地にも使う。

○「薩摩国
 〈西〉 〈国〉
 ツ・アツ・カツマ ⚪︎ツが頭に付くが、スになる。
 ス・アツ・ハシマ ⚪︎カ(クァ)がハ(ファ)に。
 スァツ・バシマ ⚪︎スとアが スア→サに転じる。
  サツ・マシマ ⚪︎カツマのカがマになる。
  薩  摩  国

◇「アヅマ」と「サツマ」
 アヅマとサツマは一見すると第一音のアとサだけの違いのように思えるが、分解してみると少々説明がいる構造になっている。

「アヅマ」は、アヅ・カシマが元の音であり、カシマがマのみに略されてアヅ・マとなる。
「サツマ」は、スアツがサツに、カシマのカがマになり、マシマになる。
 〈東〉       〈西〉
 アヅ・カツマ    スアツ・カツマ
 アヅ・  マ     サツ・マシマ
 阿豆・  麻     薩 ・摩  国

もし、サツマのマが、東と同様にカツマのマであるなら、サツマの表記は薩摩ではなく薩麻となっていただろう。しかし、実際には薩摩であり、さらに後ろに国(シマ)の字が付く。つまり、薩・摩志麻(サツ・マシマ)がこの音表記の成り立ちである。

◇《天武紀》十一年七月、大隅之隼人と阿多之隼人が朝廷で相撲を取った、という記述がある。九州島南端(現・鹿児島)の東側を大隅といい、西側を阿多といった。

時代が下って、この地域も正式に大和の支配下に入るに至って、(大和から見て)南西の端に位置する此の地を阿多(東の地)とするのは不自然である、という事になったのだろう。

そこで、呼び名を変更することになり、アタ(アツ・タ、東方面)から、サツ(ス・アツ、西方面)に改められたと考えられます。

 

○「宝島」
 アツ・カラツマ(勢力を持った大きな国)が西方面にあれば、ツ・アツ・カラツマの音になる。そして、ツアがタ(ツァ)になり、タツ・カラシマ→タ・カラシマと転じます。(※ツは省き字)

吉備国(桃太郎)に視点を置けば、タツ・カラシマ(西にある大国)は、安芸、岩国、筑紫、または伊豫や日向なども考えられるが、勿論これら以外の地域である可能性も大いにあります。

また、お供に連れる猿・雉・犬を、申・ 酉 ・戌 と解せば、これもまた西方面になります。国か部族かは分かりませんが、西の人達を仲間にしつつ、西の国と戦った、という事でしょうか。

《仲哀記》に、息長帯日賣が大王に「西方有国 金銀為本 目之炎耀 種種珍寶 多在其国」と云う。ここにある西方有国(西方面に有る国=ッアツ・カラシマ)を、タカラシマと発音したところから、珍宝多在其国〈珍しい宝物が多く在る其の国=宝島〉という話になったのでしょう。

古い伝承話に出てくる宝島が、いつも西方面にあるのはこの音に因る。よって、言葉遊びから作られた “お話” を、全面的に受け容れるのは危険です。