22-2「佐野・志麻」

地名国名[059]___

22、地形の重ね名〈2/2〉

○「佐能志麻
 大雀命(仁徳天皇)が淡路島にて歌を詠む。《記》にある歌を詞書と共に「飾り書き」にしたものが次の文型である。掛け軸にでもして飾ったのか、美しく整った構図になっています。

歌にある四つのシマの表字には「志麻」と「志摩」の書き分けが為されています。
※阿遅摩は、アキ・マがアヂマ(アチマ)と転じた音であり、シマではない。

 於是 天皇戀 其黒日賣
    欺大后 曰欲見淡道嶋而
    幸行之時 坐淡道嶋遙望
 歌曰 淤志弖流夜 那爾波能佐岐用
    伊傳多知弖 和賀久邇美禮婆
    阿波志摩 淤能碁呂志摩
    阿遲摩 佐能志麻母美由
    佐氣都 志摩美由

 

  …〈詞書、略〉…
 歌に曰〔マヲ〕さく
    おしてるや 難波の崎よ
    出で発ちて 我が国見れば
    アハ志摩、オノゴロ志摩
    アヂ間、サノ志麻も見ゆ
    離〔サ〕けつ 志摩見ゆ

 

那爾波能佐岐]アツ・カサキ。大崎。ヌアム・カサキ→ナニ・ハのサキ、と転じる。現・上町台地
(※言葉のこと/18-4、18-5、参照)

佐能志麻]サノ・シマ。王が住む地である。カサノ・カシマからカの音を省いた重連語。佐野がある郷の意であり、自身が住む高津宮がある難波崎を云ったと思われます。淡路島からもはっきり見える距離にある。

 カサノ(佐野)が有るカシマ(国)でサノ・シマ。全国にある佐野という地名は、かつて「王城の地」だったのでしょう。

◇一般的には、アヂマとサノシマを一つに繋げて「アヂマサ(檳榔)のシマ」とするが、どうやらその解釈は再考が要るようです。

佐氣都・志摩]サケツ・シマ。このサケツの語には四つの意味が掛けてある。

  • 小豆島。元は淡路島の妻として寄り添っていたが、今は切り裂かれてしまった島。裂〔サ〕ケツ・シマ。
  • 家島諸島。小さい離れ小島が集まる。離〔サ〕ケツ・シマ。
  • 黒日賣。ツキツミ・ツメ(スケの妻)だが、今は実家の吉備にいて別居になってしまっているスケツ・ツマ。別〔サ〕ケツ・ツマ。
  • 西の地。カツマの頭にツの音が付き、ツ・カツマと表現します。これが、→ス・カシマ→サ・ケシマ、と転じた音になる。竹島〔タケシマ〕、高島〔タカシマ〕なども同様。

 

◇大雀命は冗談が好きな人だったようで、この歌も一見すると国見の歌のように思わせて詠まれてはいますが、実のところは洒落っ気の多い大雀の戯歌〔ザレウタ〕であるのは、間違いなさそうです。

即興で思い付いたのか前日から考えていたのかは定かではないが、淡路島に在って、見晴らしの良い場所に立ち、厳粛な面持ちで詠い始める。

「おしてるや 〜、」島々を順次見渡しながら朗々と、そして「… アヂマ、サノシマも見ゆ〜。」と歌った後、少し間を置いて西の方に視線をやり、まるで初めて気付いたかのように「あれぇ? サケツ島も見えるなぁ…」とトボケて見せるのです。

大王が国見の歌を詠い出したので、初めのうちは身を正し畏まって聞いていた家来達だが、ここでは肩を震わせながら笑いを堪〔コラ〕えている。

『いやいや、大王さん、そこが、今日出掛けて来た目的地でしょうよ。』と、遂に大爆笑。
そう、大雀の気持ちも視線も、吉備にしか向かっていなかったのですから。

大いにウケているのを見て悦に入ってる大雀の、如何にも楽しげな姿を思い浮かべてしまう歌です。

    乃自其嶋傳而 幸行吉備國
  爾 黑日賣 令大坐
    其國之山方地 而獻大御飯

季節は春、日和良く、薫風爽やかな日の事でした。