22-1「曽根崎」「島崎」

地名国名[058]___地名には二つの地形の呼び名が合わさって出来たのが有ります。カソネとカサキでソネサキ、カシマとカサキでシマサキ、といった具合です。

 

22、地形の重ね名〈1/2〉

「曽根崎」
 カツネ・カツキ→カソネ・カサキ
         → ソネ・ サキ(曽根・崎)

 難波崎の北にある低地で、かつて存在した蜆川を渡った辺りをカソネ(水気の多い土)といいました。同時にカサキ(水に迫り出した地)でもあります。この二つの呼び名が重連して、ソネ・サキが地名となりました。

今は御堂筋の北部に位置しますが、15〜16世紀の頃まで御堂筋の辺りは未だ海だったので、此の地も存在しません。

現・扇町や天満地域の平地は上代から在りました。大雀命(仁徳天皇)の時代に出来た堀江の北側です。平地は時と共に堆積面が拡張させていきます。その中で大阪湾に面した側にあるソネサキの地も、これに合わせて西に移動していく事になります。

ソネサキの呼び名自体は古くからあったと思われますが、その場所は現在とは違っていたでしょう。何れにしろ、そこは常に利用価値のない葦原が広がるラグーンだったようです。

時代は移り、近世には遊興地として賑わい始めます。それによりソネサキという名も地名として定着します。

これ以降も堆積面は広がり続けますが、ソネサキの名が移動する事は最早ありませんでした。

あの痩せた土地が、今では大都会の真ん中になり、高級な夜の街となって富を生む地と変貌しています。

 

「島崎」
 カシマ・カサキ→シマ・サキ。カの音が共に省略される。ここのシマは、或る地域のシマ(志麻=国)であり、水に囲まれたシマ(志摩)ではありません。

斯痲能佐岐邪岐〔シマのサキザキ〕とは、クニ(カシマ)の方々〔ほうぼう〕にある水に面した土地(カサキ)の意になる。

*「カシマのサキ、サキ」
八千矛神大国主)に対して、その妻須勢理毘賣の詠む歌の一節。
 那許曽波 遠邇伊麻世婆
 宇知微流 斯麻能佐岐邪岐
 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受
 和加久佐能 都麻母多勢良米
 …略…

 汝こそは、男にいませば
 うちみる 島の埼々
 かきみる 磯の先おちず
 若草の 妻持たせらめ

◇カシマ(国)のあちこちに有るカサキ(笠木、笠置、桑崎などと表記)の数だけ妻がいる。正妻の須勢理毘賣はその事を受け入れつつ、それでもやっぱり、不安と寂しさ訴えます。

「港ミナトに・・・、」という所でしょうか。八千矛神は各地に妻がいた。これについて現代の物指し(価値基準)を当てて裁こうとする人は、歴史に首を突っ込まない方がいいでしょう。そういう人に歴史は無理です。