7「東国」

地名国名[022]
7、アツ・カツマ

◇「アヅ」という語。
 アツは色々な意味で使われる語ですが、東方面(午前中に太陽がある方角)を表わす時にも使う。その場合は、アヅ、アチ、アタ、アダ、アラ、アリなど、ツの音が変わるが、おもに濁音になる事が多い。

○「アヅマ」という音
  〈東〉 〈国〉
 アツ・カツマ  ⚪︎ア・ガツマ。吾ガ妻。
 アヅ・カシマ  ⚪︎ツの音が、それぞれ変わる。
 アヅ・  マ  ⚪︎カツマが、マのみに省略。
 阿豆   麻  ⚪︎このマには麻の字を使う。

東国という表記は、アヅ(東)カシマ(国)と読むのが本来であった。これが縮んでアヅ・マ(東の・間)の音になり、さらに時が移り、東の一字のみでアヅマと読まれるようになる。

よって「アヅマのクニ」という表現はずっと後の時代に作られた言い方であり、古い時代には存在しない。(ただし、アヅ・カツマが、アヅ・マツマと転じたとすれば、アヅ・マ国、になり得る)

上代に於いて東国とは、東方面にあるカシマ(土地)を表わす語であり、特定の地域を指すものでは無い。大和から見て近場では宇陀もアダ(東)であり、難波から見れば大和もアチ(東)である。

奈良県五條市の宇智川より東に広がる平地には、阿田〔アダ〕や大阿田という地名がある。吉野川上流の東側(下市の東の地区)には阿知賀という地がある。阿知賀とは、アチ(東)のカ(処)の意でしょう。

*《神武記》に「僕者 国神名謂贄持之子」〈僕は、国つ神・名を謂う贄持の子〉のあとに、注として小文字で「此者 阿陀之鵜養之祖」〈此れは、阿陀の鵜養の祖先〉とある。この阿陀〔アダ〕もまた吉野川上流の、東側の地を云うのでしょう。

この時代、大和から見て滋賀、伊勢、遠くても濃尾平野辺りまでが東国と呼べる一般的な範囲であったと思われます。

倭建命が、焼津の沖で亡くなった弟橘比賣を偲んで「詔云 阿豆麻波夜。故號其國謂阿豆麻也」〈御言告りて、アヅマ(吾妻)はや、と云う。故に其の国を名付けてアヅマと謂う〉とあります。

倭建命が言向〔ことむけ〕和す「東方十二道」も、たしかに東の方の土地ではあります。しかし、この時代にあって焼津(静岡県・大井川河口付近)は、むしろヘツチやヘント(辺土=果ての地)と呼ぶ地域であったと思われます。

 

○「アツタ、アツチ」
熱田はアツ・タシマ(カシマのカがタに転化)の音からシマが落ちたアツ・タ(元はアツ・カ)であり、伊勢湾の東の地をいう。
熱海(伊豆半島の東岸)はアタ・ウミ(東・の海)の意でしょう。(ここでのタの音はツからの転音)

また、アツ・キ(東・の地)が転じてアヅチ(安土)、アスチ(阿須地)、アダチ(安達)などの地名になる。これらは全て或る場所から見て東方面の地を意味する呼称だったのでしょう。

 

○「阿多」
 九州島南端の西側に阿多〔アタ〕と呼ばれる地があった。この名は、アツ・カシマのカがタに転じて、アツ・カ→アツ・タ→アタ、になったと思われる。

この地をアタ(東の地)と呼ぶのだから、名付けた者はここより西方面にある土地の人、つまり奄美地域の人という事になる。

だが、その奄美にも、アツチから転化した音と思われるアシト(足戸)、アサト(朝戸)、という地名がある。これは更に西の地、沖縄から見た呼び名でしょう。

その沖縄にもアサト(安里)がある。沖縄本島の西に渡嘉敷島(ツ・カツ・キシマ=西の・大島。ツは西を意味する音)があるので、奄美沖縄地域の呼称基点はやはり首里那覇の辺りと考えられる。

 

▽ちなみに。
ベーリング海峡の東には、アヅ・ツカ(東・の土地)と呼ばれる一帯がある。これが、アダ・ツカ→アラ・スカ(Alaska)の音になる。

この地は北米大陸の北西に位置しますが、その名はアジア側から見たものだというのが分かります。ただし、白人(ロシア人)が名付けた訳では有りません。

アラスカという呼称は、ロシアが東アジアにやって来る前から、いや、ロシア人というのが地球上に存在すらしなかった何千年も前から、使われていたことでしょう。