6-2「カラ・国」

地名国名[021]
6、カツ・カツマ〈2/2〉

◇「大きなカツマ」
 カツ・カツマがカラ・カシマと転じる。この音に、唐国、漢国、韓国、また空国などの字を充てるが、上代に於いては普通名詞としての音(カラ・カシマ、またカラ・シマ)を表わす字であり、特定の国を指す固有名ではありません。

カシマはのちにカの音が落ち、シマとのみ云うようにもなり、カラ・カシマがカラ・シマと呼ばれる事もある。(※ただし、カシマのカが膨らんだカラシマや、広い湿地をいうカラスマと同音になるが、これらとは別の語である)

◇「韓・国〔カラ・シマ〕」
邇邇芸命は、或るカシマに侵攻すべく、天降〔あも〕りてのち、絶好の場所に陣取って行動の拠点とする。
《神世記》
  於是詔之
  此地者 向韓國眞
  來通 笠紗之御前而
  朝日 之直刺國
  夕日 之日照國
  故此地 甚吉地

 是に詔之〔ミコトノリ〕
 此の地は 韓・国〔カラ・シマ〕に真に向い
 笠紗の御前より 来通り
 朝日、これ直〔ただ〕に刺す国〔シマ〕
 夕日、これ照る〔垂る〕国なり
 故に、此の地は 甚〔いと〕良き地

◯是に、御言告り。
この場所は、カラ・シマ(カラ・カシマ)を真正面に望めるし、笠紗に渡れば其国まで一直線に道が続いており、行き来が容易にできる。
また(この場所は)朝日が昇る東に位置し、(彼の地は)夕日が沈む方角にある。通行の便〔ベン〕もいいし、験〔ゲン〕もいい。
故に此の地は(陣を置くのに立地条件が)とても良い場所である。

*「向韓國眞」は〔カラ・シマの真向かい〕の意だろうが、向と真の字の位置が逆のように思える。元は眞-韓國-向ではなかったか。
尤も、《記序》にある「雖步驟各」を「步驟・各と・雖も」と読むのと同じ順の置き位置ではある。

或いは、詰め書きされた文章で、この(眞韓国向の)次に来る文字「來通」を「眞來通」とするべく、韓国の上下に置かれていた文字位置を「向韓國眞」と入れ替えた文にした。

「此地者 向韓國 眞來通 笠紗之御前而…」
〈此の地は、カラシマに向かい、笠紗の御前を、眞來通り、…〉

この様に解釈しようとした後人による書き換えの可能性も有り得る。
(※御前而の「而」、照國也の「也」、この二つの字はいらないのではないか?)

 

◇「天孫降臨
 邇邇芸命は北部九州の内陸の、或るカシマに暮らしていたが、瀬戸内への侵入を考えていた。しかし、博多湾からの船出は難しい。仮に船を出せたとしても、白昼堂々と関門海峡を通過しようとすれば、両側(下関と門司)の軍からの攻撃を受け潰されてかねない。

何より潮の流れが速く、航行も難しいと聞く。まして、潮目を知らない者が、見つからないよう夜のうちに通り抜けるなど、自滅しかない。

そこで陸路東進し、国東半島から海を渡る計画を立てた。長い距離を歩き、周防灘(諏訪の海)に面した地までやって来た。先ず偵察隊を出して調べさせた後、いよいよ邇邇芸命が船に乗り込む。

始めに向かう先は祝島である。ここから鋭兵が、細長く伸びた岬(上関周辺)に上陸し、防人・猿田毘古の身柄を拘束することに成功する。

※「岬(崎)」は古語でカサキといい、カの音が、→カン→カナと膨らみカナサキやハナサキといい、これを略してハナなどの音にもなる。つまり、長く伸びた岬(ハナ)は、“長いハナ” である。

邇邇芸命は猿田毘古に対し、道先案内役を命じた。彼はこれを承諾し、一行を連れ大島(屋代島)に渡り、島の北側の海岸線を東に向かって進んだ。

とある所まで来た時、ウキヂマリ(記では宇岐士摩理とあるが、或いは、アハキ・カラシマ・チ)に出た。邇邇芸命は岸辺に立ち眺めると、北西方向の対岸にカラカシマ(今の岩国)が見える。そこで言ったのが先のセリフ「…此地、甚吉地」である。

大島の西から本州側に渡る海辺に笠沙島がある。また、岩国の東沖すぐの所に阿多田島がある。