[023]
10、カラツキ 〈5/8〉
◇「伊波禮毘古」という名
キツ・カラツキが原音と考えます。元はキツ・カツキといい強いモノを表しますが、更にカがカラと膨張音になります。
キツ・カラツキ ※武人をいう基本語。
イツ・クァラブコ ※キ→イ、カはクアの拗音。
イ ・ファレビコ ※ツキが→ブコ→ビコ。
と音転して出来た語。キツのキはイになりツは文字にしません。カラツキのカはクァ→ファ、キはクィ→クォ、と拗音で発音、ここのツは→フ→ブ(ビ)と移ります。
この名は、勇猛な戦士の意味を持ちますが、決して王(また王族の者)を表わす呼称ではありません。つまり、後に初代天皇となるこの男(伊波禮毘古)は、一戦闘員に過ぎなかったようです。
《神武記》に、五瀬命が負傷したりして、撤退を余儀なくされた時「吾者 爲日神之御子 向日而戰不良」〈吾は、日の神の御子なのに、日が昇る方向に向かって戦ったのが良くなかった。〉という台詞があります。ここにある日神之御子は誰が読んでも「日の神の御子」です。だが、別の解釈もできる。
日はキツ、神之御はカムツキの音に充てた文字(ここでは御をキと読む)であり、元の語はキツ・カムツキ・ツコ(日ツ・神之御・の子)だった、という読み方も有り得るのでは?
だとすれば、キツ・カムツキ(戦闘員)の子である神武もまたキツ・カラツキ(転じてイハレビコ)であるのは、むしろ普通の事となってきます。
しかし、大王(アキツキ)になった後もなお此の名のままなのは何故でしょうね。現代でも一部に見かける、最高指導者であっても書記長だの大佐だのと呼ぶパターンと同類なのかな。
或いは、伊波禮毘古命の最終地位って、もしかして、ひょっとして、大王では無かったかも知れません。断定できる程の材料ではありませんが…。
[024]に、つづく。