神名人名・10-2 「守護人」

[020]
10、カラツキ〈2/8〉

⑴「海佐知」〔ウミサチ〕
 邇邇藝能命と木花之佐久夜毘賣の間に生まれた兄弟に、争い事(恐らく権力闘争)が起こる。そして、最終的に弟が勝つ。

《神世記》では、争いに破れた兄・火照命海佐知毘古)が、弟・火遠理命(山佐知毘古)にいう。「僕者 自今以後 爲汝命之晝夜守護人 而仕奉」〈私は今よりもって後、汝命の昼夜守護人と為し、仕え奉る〉

また註釈に、火照命について「此者隼人、阿多君之祖」としている。阿多隼人は後に薩摩隼人になります。(ハヤトとは、カラツキ。)

《書紀》一書曰に「吾子孫八十連属〔ヤソツヅキ〕、恒當爲汝俳人(一云、狗人)謂哀之」〈吾の子々孫々続く限り、恒に汝の俳人、狗人と為して謂哀に当たる〉

さらに「…不離天皇宮墻之傍 代吠狗而奉事者矣」〈…天皇の宮の垣の傍を離れず、狗に代わって吠え奉事なすや〉

 

◇《記》にある「守護人」や、《書紀》の「俳人」「狗人」「狗」などが、どのような語音に充てている表記かは分からない。記述内容からすると、宮の警備や身辺警護を担当する者のようです。これは役割りとして、紛れもなくカラツキと呼ばれる人達です。

*ただ、幹部クラスのカラツキではないでしょう。番犬の様にお仕えし、お護りします、という事を云っているのですから。「一兵卒として働く所存です。」という服従を示す儀礼的な定番の表現だと思われます。

キツ・カラツキ→イヌ・カラビトと転じたのち、略してイヌ・ビト(狗人)となったのならば、守護人、俳人など、読み方が今一つ分からない表字も、キツ・カラツキやカラツキの読み下しで良いかも知れない。

俳人はワザビトと読むようですが、クァツキ→クァサブキ→ウァザビト、という音転が考えられます。宴会時の演芸担当でしょうか。


⑵「神八井耳命
 神武の子同士の争い。當藝志美美命(庶兄)襲撃の時、兄神八井耳命(神武と伊須氣余理比賣の子)は体が震えて何も出来なかった。その時、弟の建沼河耳命(後の綏靖天皇)が兄の手の武器を取り、兄に代わって目的を成し遂げた。のちに兄神八井耳は弟に対して、次のように云う。

《記》に「僕者扶汝命 爲忌人而 仕奉也」〈僕は汝命の扶〔すけ〕として、忌人と為りて仕え奉る〉

《書紀》に「吾當爲汝輔 之奉典神祇者」〈吾は汝の輔〔すけ〕と為り、神祇の奉典〔まつりこと〕に当たりなむ〉

◇《記》にある忌人が、忌部や祝部〔はふりべ〕のことだとすれば、死者の埋葬や死体の処理などを行なう下級役人の意になります。

キツ・カラツキ→キム・カラブト→イム・ビト、と転じると共に、その役職に合わせイム・ビト(忌人=葬番)と呼ばれたのでしょうか。

また、どちらも扶輔の字を用い “ 汝のスケ ” と言ってます。スケとは勿論ツキツキの意。八井耳命は自ら「私は貴方のツキツキ・カラツキとして仕えます」と平伏〔ヒレフシ〕ます。

 

◇「多神社」〔オホノ ジンジャ〕
 奈良県田原本町に、多坐弥志理都比古〔オオニイマス・ミシリツ・ヒコ〕神社があります。オホニマスの音は、オホ・イマスのノとイが繋がってニマスと発音されたものです。

ミシリツ・ヒコとは、アキツミ・ツキツキ・ツキ(王に・仕える・者)の音が、ミ・シリツキ・ツコ→ミ・シリツ・ヒコ、と転じた音と推測できます。

ミシリツのミはアキツミ(王)を表します。単語を丁寧にいう時のミでは有りません。シリツキは、応神天皇が娶る三姉妹の祖母の名にある志理都紀斗賣〔シリツキ・トメ〕と同じ形の転化音でツキツキが原音です。先のツキが、ツキ→シリ(ツ→ス→シ。キ→チ→ヂ→リ。)と移ります。

この神社は、神武天皇神八井耳命、建沼河耳命(綏靖)、姫御神(神武の母)、この四柱を祀っています。ただ、神社の名の原意を見れば、王の守護人(ツキツキ・カラツキ・ツキ)に下った神八井耳命主祭神とした社〔ヤシロ〕と見るべきでしょう。その他の神は後に追加されたと思われます。

またツキツキの音は、→ツイスキ→チイサコと移り、小子部という名にもなる。神八井耳命の末裔に意富臣のほか小子部の名もありますが、この二族は結び付きも強い。共に同じ職種カラツキ(守護の兵)であり、恐らくは縁戚関係もあった事でしょう。

 


⑶「奴理能美」
 《仁徳記》に「於是大后…(略)…、暫入坐筒木 韓人名奴理能美之家也」〈大后、暫し筒木に入り坐ましき、韓人〔カラビト〕、名は奴理能美の家なり〉という記述がある。

石之日賣(仁徳の妃)の家来にヌリノミという名の韓人=カラツキ(守衛人)が居り、その者が管理をする家(筒木の宮)に住まいした、という意味です。恐らく、石之日賣の生家なのでしょう。

奴理能美〔ヌリノミ〕という音をツキツキと繋げるのに、何の無理もない。ツ→ヅ→ヌ。キ→チ→ヂ→リ。ツ→ヌ→ノ。キ→ミ。このように転音する。しかして、ツキツキ→ヌリノミになる。

ただ、これが個人名なのか、管理人を意味する呼称なのか詳らかではない。

 


⑷「子麻呂」と「網田」
 《皇極紀》四年六月の条に、入鹿殺害事件が詳しく描かれている。その一節に「韓人殺鞍作臣」〈韓人が鞍作臣を殺した〉とあります。

その場に居た人達にとっては、突然「警備の者(カラツキ)が入鹿に斬りかかった」という事です。

この韓人〔カラツキ〕とは、襲撃の実行役であった佐伯連子麻呂と稚犬養連網田を指すのであり、彼等の職種がカラツキ(警備の者)なのです。中大兄皇子一派に属する若者だったのでしょう。

 


⑸「キャラドキ」
 沖縄の伝承話に、弟のニッチェが王になり、兄のキャラドキが弟の護〔まも〕り人になるという物語があります。この設定は兄海佐知・弟山佐知、また兄神八井耳命・弟建沼河耳命の関係と同じです。

キャラドキとは守護神の意味を持つ名と言われており、その意と音を見れば最早カラツキが元であるのは疑いようが有りません。

[021]に、つづく。