神名人名・10-6 「藤原鎌足」

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10、カラツキ 〈6/8〉

◇「藤原鎌足」という名
 キツ・カツキ(武人)の最高位を意味するカツ・カラツキ(大将軍)の音が、→クシ・カラツンキ→フシ・ハラヌンチ→フジ・ハラノウヂ、と転じる。

この音に充てて、美しく飾られた名称「藤・原ノ氏」の表字が作られた。

クシはカツ、もしくはキツからも移ってくる音ですが、藤の字は葛と同様にカヅやカヅラという。よって、ここでのクシ(フジ)はカツから転じた音です。

 

中臣鎌足神職系の人です。しかし、入鹿誅殺事件以来、中大兄皇子(後の天智天皇)の腹心となって軍事関係を担うようになる。

鎌足は亡くなる前日(八年十月十五日)、天智天皇の使者として訪れた大海人皇子より藤原氏の姓を賜わる。藤原氏とは「藤原」という氏〔ウヂ〕ではなく、氏の字も含めて「藤原之氏」という姓〔カバネ〕の名なのです。従って、正確には「フジハラノウヂの鎌足」になります。

この姓は、大織冠、大臣の位、と合わせて鎌足個人に与えられた一代姓であったと思われます。鎌足は叙位された翌日に世を去り、結果として「藤原氏大臣」〔フジハラノウヂ・オホオミ〕は一日限りの呼称となる筈でした。ところが、思わぬ展開になります。

 

鎌足の死後、子や親戚縁者がこぞって藤原を自らの氏(ウヂ=家の名)として使いだすのです。それにより「藤原氏〔フジ・ハラノウヂ〕」という姓〔カバネ〕の名から、「藤原〔フジワラ〕」という氏〔ウヂ〕の名が作られてしまいます。

つまり、藤原氏〔フジ・ハラノウヂ〕という姓〔カバネ〕と、藤原〔フジワラ〕という氏〔ウヂ〕とは別物であり、違うモノとして扱わなくてはならないのですが、混乱する人が後を絶ちません。

 

*その後に造られる藤原京の名は鎌足とは無関係なのでしょうが、藤原の呼称をより世間に広める効果があったかも知れない。

平安期になると、藤原という氏〔ウヂ〕の名は貴族名の中でも “ 高級ブランド ” となっていき、いよいよ爆発的な増殖が始まる。

 

▽ちなみに。
現在では「藤原氏大臣」という表記を見る事がありません。全て「藤原内大臣」となっています。「氏」の字を「内」にするのは、『氏は内の誤写だから』という理由からのようです。

 

◇「中臣」
 人や神を表わすキとミの音を見ると、その用途の一つに、武人系にはキを、文人系にはミを使う傾向があります。

軍人はカツキですが、中臣は天兒屋命(布刀詔戸、言禱なす人)を祖とする文官なのでカツミです。これに予唸音が乗り、ヌカツミ。さらにミにもンが付き、ヌカツンミ、と少々複雑になったのち、ヌカツオミ→ナカツオミと、整理された音になる。

これに「中ツ臣」の字が充てられるが「ツオ」は自然に「ト」の音になり、表記は中臣、音はナカトミで定着します。

文官の家に生まれた鎌足でしたが、あの事件(入鹿殺害)の日以来、中大兄(天智)の下〔もと〕で、事実上武人として長らく働いてきました。

そして、人生最後の一日、カツミ(中臣)からカツキ(カツ・カラツキ=藤原ノ氏)の称号(カバネ)を与えられ、没した。

 

[025]に、つづく。