17-6「岡」と「山」

地名国名[045]
17、「カヤマ」〈6/7〉

◇「岡」と「山」
 カヤマは、オカヤマやオカツヤマなどとも発音される。このオカの音に岡の文字を使うので、古くからの地名で岡の字が使われている在所には、高い割合で墓(古墳)が有る。

大阪府豊中市の岡町には幾つもの古墳があり、此処より東に行くと桜塚古墳群がある。尤も、歴史(記紀風土記など)には、あまり登場しません。

しかし、この地域は上代の頃すでに多くの人が住み、その規模はカツラ(村)というよりカツマ(国)と呼べるものでした。

 

*奈良の明日香村にある雷の丘(岡)は、「キツ・カツキのオカツヤマ」が転じて「イカヅチのオカ」と呼ばれ、この音に雷岡の文字を充てたのでしょう。

キツ・カツキ→イツ・カヅチ(雷=戦闘員)を葬った集合墓地(また鎮魂祠が置かれる地)だったと思われる。或いは何かの戦いで戦死した多くの兵士たちを、纏めて埋葬した所なのかも知れません。

この場所にはかつて祠の様なものが有ったとも云われるが、天長六年これらの御霊は東の山裾にある飛鳥坐神社遷座したと伝えられる。

ただ、この神社の祭神は、事代主神高皇産霊神大物主神・甘奈備飛鳥三日女命、といった神名が並び、何れもイカヅチ(雷神)とは呼べない神です。

この神社には沢山の小さな祠が並んでいて、様々な神を祀っている。それらは合祀というより、敷地内にそれぞれ独立した小社として置かれ、祀られているという印象です。大きな神社では、よく見かける風景です。

 

生駒山の西斜面山中に枚岡神社東大阪市)がある。ヒラオカという名は、キツ・カヤマがヒラ・オカヤマ(枚岡山)と転じた音と思われます。

元は神津嶽〔カミツタケ〕と呼ばれる所に天兒屋根命(中臣の祖)が埋葬され、鎮魂の祠が置かれた。その後、白雉元年(六五〇)今の場所に社を建てて遷坐した、というのが此の神社の始まりでしょう。

 

◇しかして「岡」と「山」
自然物であれ、人工物であれ、盛り上がった地形はカヤマといい、山の字を使っていた。時代が移るうち、埋葬地や鎮魂の地はカヤマの他に、オカヤマ、カツヤマ、オカツヤマ、カブヤマ、カマヤマ、などと音を変えて呼ぶようになってゆく。

使う文字も、自然のカヤマの「山」に対して、墓や鎮魂の施設にはオカヤマの音から「岡」の字を用いる、というように区別化されていった、と見ることが出来ます。

自然のカヤマであっても、その山中に墓や鎮魂碑が有れば、その山はオカヤマと呼ばれたのでしょう。