「ツツ・ツキ」鳥

【ツツ考】[018]___
ツツトリ

◇「
 鳥も空中を移動するのでツツキ、またツツ・ツキ、が基本音です。古代から中世にかけて一般的に使う鳥の呼称は、カツキ、カツミ、ツツキ、ツツミ、ツツトリ、などと呼ばれます。

飛行するという特殊な能力を持つ生き物であり、敬意を持って、キツ・ツツ・ツ・カツキ・ツキ、という言い方も為されます。(キツは空、カツキ・ツキは強い鳥)

 

*「カツキ
 元の音はツツ・カツキであったろう烏〔カラス〕ですが、好嫌両方のイメージ有ります。どちらにしろカツミ(水鳥=益鳥)とは違い、カツキ(強い系)です。

さらに音が膨らんでカラツキ、またカラキと呼ばれる。カラキ→カラシ→カラスとなって固有名となる。

鳥の名で末音にスが付く(カケス、ホトトギスなど)は、キからスに転じた音です。世界を見渡しても、ギリシャ神話など、神名や人名の末音が「ス」になっているのを見掛けますが、キ(「者」の意)から転じたと思われます。

*カラスという名は「鳴き声からきてる」という説があります。分かり易いので、多くの人が当然の事として受け入れがちです。しかし、これが真実かどうかについては、もう少し懐疑的であった方がいい。

*「カツミ
 水鳥などは、キツ・ツツ・ツ・カツミ・ツキ(キツは水、カツミ・ツキは良い鳥)の音になる。カツミがカムミ→カモメになり、カツミ・ツキ→カモメ・トリ(鷗鳥)、カムツミ・ツキ→カモ・トリ(鴨鳥)の音となってゆく。

キ(キ)がアキと発音される。またキはイ・チ・ヂ、などに転じることで、アキ→アイ鴨、アヂ鴨。また、キツがイサ(キサ)に変わって、アキツ→アイサ(秋沙)鴨。ヒルに転じて、アキツ→アヒル鴨などの音になり、後に種の名になっていく。

 

*ツバメ(燕)はツツミでしょう。元はツツ・カツミであり、これが省略してツツ・ミ、さらに転じて、→ツブミ→ツバメ、の音移動が推測される。

燕は人にとって益鳥であり、また軒先で子育てをする姿に心が和む感覚は、今も昔も差はない。よって、褒める接頭語・カツが乗り、カツ・ツツミの名でも呼ばれる。

*古い時代、大坂北摂地域の遊び歌の一節に「ツバメは土喰て、くち ちぃぶい、くち ちぃぶい。」というのがありました。子供らがツバメを見て口遊〔ずさ〕む「くち ちぃぶい」とは何か。

  • 土を咥〔くわ〕えて、口渋い。
  • 古い呼び名のカツ・ツツミが、クチツツムィ。
  • ツバメの鳴き声、チーチー。

これらを重ねて掛けていると考えられます。

 

カワセミ翡翠)は小型の美しい鳥であり、ツツ・カツミと呼ばれるが通常はカツミです。この音が、カツミ→カハスミ→カワセミ、と転じる。

 

◇「ツツキ
《書紀》一書曰(五)では、伊奘諾尊・伊奘冉尊の国生みに際して、次の様な記述があります。

    遂將合交而 不知其術
 時有 鶺鴒飛來 搖其首尾
    二神見而學之 卽得交道

  遂に合交なせど、其の術〔すべ〕知らず。
  時に、鶺鴒飛び来て、其の首尾を揺らし。
  二神、見学〔みまなび〕て、即ち交道を得る。

(※後ろの行は「二神見學而 卽得交道」ではないだろうか?「之」の字は要るか?)

*鶺鴒を現代ではセキレイと読む。《図説・日本鳥名由来辞典》には「ツツは鶺鴒〔セキレイ〕の古名」との解説がある。

しかし、此処での鶺鴒はツツキと読むべきでしょう。合交を表わす語も同じ音(ツツキ)であるところから、この鳥を見て二神は子作りのやり方(ツツキ)を知ったという事です。

つまり「鶺鴒〔ツツキ〕が飛来(ツツ・キ)て、首尾を揺らし(ツツキ)して、交合(ツツキ)した」という事ですね。これによって交道(交わり=ツツキ)の方法を知るのです。

 

◇「ツツトリ
 かつて鳥の呼称として、ツツトリ《日本霊異記》、フフトリ《倭名類聚抄》、ホホトリ《類聚名義抄》などもあったらしい。だが、これらは固有名ではなく或る種類を広く指す語と思われます。ポンポン鳥などの呼び名もあるようですが、ツツトリやホホトリからの転音でしょう。

表記にも色々あり、乳鳥、知鳥、千鳥、知等里、智杼里、などの字が使われます。これらはどれもチドリと読みますね。ただし、元の音はツツトリだったのではないでしょうか。

他の表記に、都都鳥〔ツツトリ〕、筒鳥〔ツツトリ〕、などと書くのも見受けられます。ツツトリがチチトリと転じ、さらにチの音を一つに省略し、ツツトリ→チドリと転じたと思われます。

 

◇「大王
 ツツ・ツキはツツトリと転じるのだが、もう一つの転音であるツツ・ヌキの音には首領の意があり、アメツツ、ツツ・ヌキは、王を表わす語として使われる。

《神武記》にある次の歌は、伊須氣余理比賣が詠ったとする。

   爾大久米命
   天皇之命
   詔伊須氣余理比賣 之時
   黥利目 而思奇歌
 曰 阿米都都 知杼理 麻斯登登
   那杼 佐祁流斗米

   ここに大久米命
   天皇の命(御言)をもって
   伊須氣余理比賣に詔〔ミコトノリ〕し時
   黥利目(文身の目)を、奇〔アヤ〕しと思い歌い、
  曰く、アメツツ チドリ マシトト
   など(なぜ)サケルトメ(割ける と目)

*《記》の中で、この歌は伊須氣余理比賣が詠ったとされます。また、一般的に「阿米都都 知杼理 麻斯登登」を、それぞれ三つの鳥の名とする。果たして此れら解釈は正しいのか。

恐らく、
アメツツ、ツツトリ、マシトト〈天飛ぶ、ツツヌキ、坐しつつ=王が御出ましになったぞ〉
の意であり、大久米命が伊須氣余理比賣に対して云った言葉だと思われます。

「那杼 佐祁流斗米」〈ナドサケルトメ〉とは、ナゾ、スケノツメ(汝ぞ、ツキツミのツメ=あなたが、王の妻になる)が本来の意味ではなかったか。

八世紀にあって既に古い話であり、伝承の過程で早くから少しずつ解釈がずれていったかと思われます。