[017]
9、キツ・カツキ〈1/2〉
◇「雷〔イカヅチ〕」
キツ・カツキ→イツ・カヅチと転じる。
勇猛で激しい者。武人。戦闘能力に於いて「勝るモノ」なのでカツキと呼ばれます。これにキツが乗る。ここでの接頭語・キツは、キツい、烈しい、などの意。
キツカツキは太古からある言葉だったようで、広義には強いモノ全般を指す語である。原始の頃には獣〔ケモノ〕と闘う勇敢な男達をそう呼んだのかも知れません。
時代が下り人間同士による部族間の争いが始まると、戦闘員(兵士)の基本呼称になっていく。彼等には激しさ凄まじさの形容にもなる同音の雷の文字を充てる。
*伊邪那岐が迦具土を斬った後、血の付いた刀剣に成る神の名にある石拆神(書紀では磐裂神と表記)は、キツ・カツキが、イツ・ファスキ→イ・ハサキ、と転じた音に充てた(イハに石、サキに拆)表記でしょう。
また《書紀》巻第二(葦原中国に遣わす経津主神の祖父・磐裂神)には「磐裂、此云以簸娑窶〔イファサク〕」と読みを示している。
カはクァと発音し、これがクァ(カ)→ファ(ハ)→ウァ(ワ)と移る。よって、イカはイハ、イワ、どちらの音にもなる。
▽ちなみに。現代の苗字にある「岩崎〔イワサキ〕さん」は、先祖が武人であったのかも知れない。
◇「雷の丘」
奈良県高市郡明日香村大字雷に、標高110mほどの小山があり、これを大昔から雷の丘(岡)と呼んでます。はて、イカヅチのオカとは何か。
王の墓は平地に造られる事が多く、盛り土をし、周囲に水濠が設けられますね。臣下の者の場合、高官(大臣、将軍、学者など)は個人の墓が造られますが、平地ではなく自然の山の地形を活かした墓が造られる。
しかし、戦闘員全般になると、そうはいきません。彼らは合同墓地、または鎮魂の社に祀られたようです。
イカヅチとは上記に示した通り戦闘員をいい、オカはオカツヤマ(埋葬地)の事と思われます。雷の丘とは「戦闘員の墓」、そういう場所だったのでしょう。
◇「ツキツキ・キツ・カツキ」
(王に)仕える者、という意味のツキツキはタケツミと転じる。タケツミをそのまま書けば建津身、ミの音が「ンミ」になると、ツンミがツヌミになり角身の字が充てられる。
○ツキツミ・キツ・カツキ
タケツミ・イツ・カヅチ → タケツミ・イカヅチ
建ツ御 雷
○タケツ ンミ → タケツヌミ → タケツノミ
建 角 身 建 津之 身
※ミが「ムィ」と発音され建ツ御が使われます。(※御は身の上級文字)
ツキツミは「仕える者」であると同時に「タケ(猛)の者」の意を持つ呼称であり、男(特に戦闘員)に使う。上代に於ては兵士の階級を示す一呼称だったかも知れない。
神名や人名の頭に建や武が使われるのは、タケツミ(武人)を表わすものと見て差し支えは無いでしょう。
◇「タケツヌミ(建角身)」
京都の賀茂御祖神社(下賀茂神社)の祭神は賀茂建角身命。奈良(宇陀郡榛原)の八咫烏神社の祭神は建角見命。これらは武人を祀っている社〔やしろ〕である。
《新撰姓氏録/山代神別》に、賀茂建角身命は、神魂〔カン・ムスヒ〕命孫鴨建津之身命。
《古代豪族系図集覧》では、建角身命の系図として神皇産霊命〜天神玉命〜天櫛玉命〜鴨建角身命とあり、建角身命は神皇産霊命(《記》では神産巣日神)の曽孫とする。
《記》本文の書き出し部分にある参神は、天之御中主(主人)・高御産巣日(大臣)・神産巣日(軍人)を表わすものであり、その中の軍人に含まれる神産巣日を祖とする。
*カツ・ツキツキ・キツ・カツキ、これが最初の音であり、転化してカモ・タケツミ・イツ・カヅチになる。賀茂建角身や鴨建津之身の名は、イカヅチの語を省いた形(カモ・タケツノミだけ)を使っている。
「カモ」とは、褒称の接頭語・カツから転じてカモと発音された音に鴨や賀茂の字を充てたものです。
[018]に、つづく。