神名人名[018]
9、ツキツキ・キツ・カツキ 〈2/2〉
◇「ツクユミ」
《書紀》では、一書曰に伊弉諾尊が「右手持白銅鏡則有化出之神。是謂月弓尊」〈右手に持つ白銅鏡に成り出づる神、是れ月弓尊と謂う〉と記す。
《皇太神宮儀式帳》では月読命〔ツクヨミ〕と記し、その姿を “ 馬上の男神 ” としています。
これらはツキツキから転じたツキユミやツクヨミの音に、月弓や月読など字を充てている。ツキツキには王を助ける者をいうので、軍人(上級武官)もまたツキツキと呼ばれる者にあたります。
◇「建御雷神」と「武甕槌神」
この名を一般的には「タケ・ミカヅチ」と読み慣わすようですが、正しくは「タケツミ・イカヅチ」です。
⑴ ツキツキ・キツ・カツキ
→タケツミ・イ ・カヅチ
建 ツ御・ 雷
⑵ ツキツミ・カツキ
→タケツミ・カヅチ
武 ツ 甕 槌
月弓〔ツキユミ〕や、月読〔ツクヨミ〕という表記(音)にもなる事を見れば、タケで止めるのではなく、タケツミとするのが妥当でしょう。(タケツミの「ツ」の音は省き文字として書きませんが、発音時にはツを入れなくてはならない)
「建ツ御・雷」の名は紛れもなく ⑴ のタケツミ・イ・カヅチですが、「武ツ甕槌」は音だけ見ると ⑵ のタケツミ・カヅチですね。
カヅチの頭にイ(キツ)の音が入るかどうかの違いなのですが、この二つの名は同じなのか別物なのか。或いは大した問題ではなく、どちらでも良いのだろうか。
記紀での表記文字は異なるものの、扱いとしては同一の神として登場しており、それを考慮するとキツが入る ⑴ が本来と見て良い。
⑵ もまたミ・イカ→ミ・カ(ミの尾母音・イと、次のイが合わさり吸収され消滅した形)に転じ、その音(ミカ)に甕の字を充てただけ、という事は充分有り得ます。
もし、⑴ と ⑵ が同じでは無いとすれば、建御雷と武甕槌は一旦分けて、別の神として扱わなければならない。だが恐らく “どちらでも良い ” というのが当たっているように思います。
*「御」…って?
この文章の中にある「御」の扱いについて、首をかしげてる人が多く居られるであろう事は、容易に想像できます。『御は単語を丁寧に表わす時の接頭語でしょ。』と考えるのが常識ですね。
古事記の中に於いて「御」という字の使い方は一つではありません。幾つかある中の一つに、「身」の高貴表記、としての用い方があります。
◇「武御」〔タケツミ〕
天孫降臨の前に、まず兵を派遣するのですが、誰にするかを決める時の書き方。
《記》では「爾天鳥船神 副建御雷神而遣」〈天鳥船神を、建御雷神に副えて遣る〉としています。
《書紀》では「武甕槌神…、即配経津主神」〈武甕槌神を…、経津主神に配えて〉となっています。
記紀では建御雷と武甕槌の立場(地位)が異なっています。タケツミは臣の者なので、通常はミの音に身や見の文字を使います。だが臣の中でも上級者には御を使う事が許されていたようです。
よって、建御〔タケツミ〕のように「御」の字を用いて表記される者は位の高い戦闘員です。謂わば、士官の地位(隊長クラス)であったろうし、王族の者、また王の親近者という事かも知れません。
一方、天鳥船や経津主は一般の戦闘員であって、隊に配属される立場の兵です。《書紀》の執筆者は、経津主を上位者と判断しています。経津主の「主」の字に惑わされたのでしょうか。
ここは《記》の記述(建御雷が上官、天鳥船は部下)の扱いが正しく、《書紀》の書き様(経津主が上官、武甕槌は部下)は問題有りでしょう。
◇「タケミカヅチ」
奈良県の春日大社、茨城県の鹿島神宮は共に主祭神が武甕槌命です。
《続日本書紀》和銅六年(七一三)には、鹿島神社の祭神・香嶋大神を建御賀豆智命、また建御加都智命と記しています。この名は共にタケツミ・カヅチ(またカツチ)の音に充てています。
《古語拾遺》大同二年(八〇七)になると鹿島の祭神が武甕槌神の表記に変わる。注として「今常陸国ノ鹿島ノ神、是也」とあります。
鹿島神社の祭神の名が続日本紀と古語拾遺(百年ほど後)で異なる。これは、祭神が別の神になったのではなく、文字が違うだけで元は同じ神という認識があっての変更と思われます。
同じ神でも字が違うというのはよくある事で、別段問題のないことですが、何らかの理由で春日大社の祭神と同じ表記にする必要性が生じたのではないでしょうか。
いずれにしろ、主祭神として祀られる程の神、という事は間違いのないところです。
(9.ツキツキ・キツ・カツキ、了。)