神名人名・10-4 「チハヤブル」

f:id:woguna:20230316140138j:image

[022]
10、カラツキ 〈4/8〉

◇「枕詞

「花の都・パリ」「憧れの・ハワイ航路」「鉄人・室伏」…ちょっと古いですが、これらの、先に置かれている言葉は、役割として枕詞と言っていいでしょう。

 

*何故、生まれた? 言葉(日本語)には同音異語が多いです。例えば、カミという音だけだと、髪、紙、噛み、神、と色々あり、前後の言葉によって判断はできますが、一瞬とまどう事もあるでしょう。

そこで、どのカミなのかを直〔チョク〕に知らしめるべく、関連言葉を前〔さき〕に置く。すると分かり易いし誤解もない。

「チハヤフル・カミ」と云えば、此のカミは神のことだと分かります。さらに、その言葉を強調させる事ができる。そんな実用性がありますね。

また、歌だけではなく、否、歌よりも伝令係の舎人にとって重要だったと思われます。文字の無い時代にあって齟齬を防ぐ、そんな意図を以って置かれていたのかも知れません。

 

*形式化することで本質が分からなくなる、という事があります。仕方のない事でしょうね。道具(武器など)は、実戦用として生まれ、祭事用として変形し、最後は装飾品として奇形化してゆく、という流れが有ります。

行き着いた姿しか知らない者にとっては、もはや元の形は想像できない、といった事も起こってくることでしょう。

枕詞も然りです。始まりは意味を持った言葉として置かれていたのは間違いありません。それが次第に飾りコトバとして形骸化する事で、単なる置き物のワードとなってしまいました。

 

 

◇「キツ・カラツキ

…少し復習…。
 武人を表わす基本音はキツ・カツキですが、これがイツ・カヅチ→イ・カヅチと転じて、同音の雷の字が充てられますね。

 

また、カツキのカの音がカラと膨らんでカラツキという言い方も使われる。その頭にキツが乗ったキツ・カラツキというのが一般的です。キツ・カラツキが、→イチ・カラブト→チ・カラビトと移れば、力人や力士と表記されます。怪力の持ち主。

 

カラがカレの音になれば、キツ・カレツキ→イツ・カレブキ→イ・ハレビコ(伊波禮毘古/神武天皇)になります。隊長クラスの武将か?

 

カツキのカがカヤと膨らみ、カヤツキの音にもなります。カヤツキ→カヤフト→ハヤフト→ハヤヒト(ハヤト)と転じ、隼人や速人、また勇人などの字が充てられます。

ハヤトは普通名詞ですが、ハヤトと云えば薩摩隼人ですよね。元は阿多隼人と言いました。九州島南部の西側の地をかつては阿多といい、後に薩摩と呼ばれます。この地の戦闘員は特に俊敏だった、という事でしょう。

 

*カツキやカラツキは多様な音に転化して、武人のタイプ別による呼び分けが成されていたように見えますね。

 

f:id:woguna:20230316140218j:image

◇「チハヤブル

この音を表わす文字として、
《記》知波夜夫流、道速振、《書紀》残賊強暴、
《万》千早振、千盤破、千石破、千羽八振、千葉破、知波夜夫留、血速旧。
などがあります。

もちろん全て充て字ですが、意味を含ませようと試みたのもあれば、知波夜夫流や知波夜夫留などは音のみを表す仮名字です。

 

*キツ・カヤツキの転化形の一つにイチ・ハヤヒトという言葉が有ります。恐らく、この者達が最も強烈な武人だったのでしょう。それに依り、イチ・ハヤヒトは「激しい戦闘能力を持つ者」「恐ろしい者」などを表わす代名詞として使われ始めます。

 

この呼称の後ろにフル・キ(またフル・ツキ)という語が付きます。
フル」とは、仕様、~の様な、〜風、〜的、などの意。「大人びる子供」「善人ぶる人」、「宮びる・都びる=ミヤビ」「鄙びる=ヒナビ」などのブル、ビルです。或いは現代の言葉の「ブリッコ」のブリ。
フル・キ(フル・ツキ)の「」は「者」の意。

 キツ・カラツキ、フル・キ  ○原音。
 イツ・カヤフキ、フル・キ  ○カはクァ。
 イチ・ハヤヒト、フル・キ  ○ハはファ。
  チ・ハヤヒト、フル・キ  ○チハヤフル。

こうして「チ・ハヤヒト・フル・キ」という言葉が使われ始めます。

※フルは清音が基本ですが、色々な場面で濁音になっており、どちらでも問題は有りません。これはハヤヒトのヒト(ビト)の音も同様です。

 

 

◇「勇者

 チハヤヒト・フル・キ、とは「チハヤヒト(恐ろしい強者〔ツワモノ〕)・のような・キ(者)」を意味します。これを短縮し、キの音に神の字を充て「チハヤフル神〔キ〕」という言い方が作られていました。

カラツキ(武人)は、王に仕えるキ(人)なので、ンキ(予唸音・ンが付く)の音も使われます。このンキの音が、ン→ウ、キ→チ→ヂ、と転じることで、キ→ンキ→ウチ→ウヂと移り、チハヤヒト・フル・ウヂ(氏)の語にもなります。

ただ、この語句を歌などで上句に置くためには「チ・ハヤヒト・フル・ウヂ(キ)」を五音にしなければなりません。方法としては、略すか、二つに分けるかですが、当初は多少の試行錯誤があったようです。

 

《応神記》では、これらを使う歌が「チ・ハヤ・フル・ウヂ」と「チ・ハヤヒト・ウヂ」の二つがあります。キの音はウヂに転じて宇遲の字を充てています。少なくとも、この歌では神の字ではなく、ウヂと繋〔つな〕がっています。係り言葉というより一体の語句としてです。この時点では枕詞とも言えないです。

 ち は や ふ る う ぢ    わ た り に
知波夜夫流 宇遲 能 和多理邇 … 」(短歌)

 ち は や ひ と う ぢ    わ た り に
知波夜比登 宇遲 能 和多理邇 … 」(長歌

※宇遲〔ウヂ〕の音は、前の「ちはやふる、ちはやひと」と、後の「わたり」のどちらの語にも付く趣向になっています。

 

 

◇「〔みづ〕

 ところで、水は古語で「キツ」や「ンキ」といい、川を表わす云い方の中には、キツ・カハ(木津川、吉川など)や、 ンキ・カハの音があります。ンキはンがウに転じてウキ・カハ(兎寸河)、またキがヂに転じてウヂ・カハ(宇遲河、宇治川)の音(表記)になる。

宇遲河(京都・宇治川)の河口(巨椋池にそそぐ)の近くに渡し場があり、これを「宇遲(河)の渡り」ということから、この辺りの地を宇遲〔ウヂ〕と呼ぶようになります。宇遲〔ウヂ〕と、氏〔ウヂ〕は、音合いします。当然です、元は同じ「ンキ」なのですから。

 

知波夜夫流・としないのは、この歌が詠まれた出来事(宇遲能和紀郎子と異母兄弟大山守命との争い)の場所(宇遲河の渡し場)である事と、何より歌の主役が宇遲能和紀郎子です。その事により、チハヤフル・キ(神)を、チハヤフル・ウヂ、とします。そして「知波夜(比登)夫流 宇遲」と書きます。

 

*この頃の神の字は、強いモノ、優越するモノ、凄いモノ、といった意を持ってはいましたが、大や高などの文字と同じ様に、まだ普通文字の扱いでした。後に、仏〔ホトケ〕や霊〔タマ〕などと同等の特殊文字へと変わっていき、神の字からキの読みが消え、カミという“崇め文字”になっていきます。

 

*時が移り、チハヤブルは「神」に係る枕詞、という形になっていきます。これは決して間違いではありません。ただ、ちょっとした“美しき誤解”が入っている、とは言えます。

和歌などで「芳〔かぐわ〕しい日本語」の一つとしての扱いを得ているチハヤル(チハヤル)ですが、この言葉の始まりは武人であり、その中でも「超・恐ろし戦闘員」を表すものだったと思われます。

 

 

▽ちなみに。
*「イカレポンチ」について。
 キツ・カラツキが、イツ・カラフチ→イツ・カラブチ→イ・カレポンチと転じた語。カラツキのツキが、ツキ→ツンキ→フンチ→ブンチ→ポンチと移る少々特殊な転化ですが、つつ鳥がポンポン鳥になったり、商家で働く年少奉公人・ツキをボンチという例もあります。

カラツキ(戦闘員)の中には、正気の沙汰とは思えない程の常軌を逸した狂暴な者や、冷徹残忍な者がいる。

こういう者に対しては敵味方関係なく、周囲の者は気が冷めていったに違いない。そんな、ちょっとアブナイ人間を、イカレポンチといいます。

 

[023]に、つづく。