「ツツ・ヅ・カワ」川

 

【ツツ考】[013]___
3-6.液体の流れ「川」

◇「ツツ・ツ・カハ(ツツ・カハ)

「キツ・ツツ・ツ・カ」を直訳すると「液体・移動・面」ですが、水が流れる処、と言い換える事もできます。この音からキツを省いた形、これを元とする呼称は全国に多数あります。

トト・ツ・カハ(十津川)、ツツ・カハ(筒川)、タツ・カハ(龍川、達川など)、タチ・カハ(立川)、セ・カハ(瀬川)、ササ・カハ(笹川、篠川など)、サ・カハ(佐川、狭川、茶川など)、テン・カハ(天川)…。和歌山県の一部地域ではツツカに筒香の字を充てる。
また、サン・ヅ・カハ(三途川)、ソウ・ヅ・カヌバ(僧都迦之婆、葬塚之婆)は、あの世に渡る川。

 

◇「」と「

カワを表わす漢字には、河と川の二種類があります。川の音読みは「セン」ですが、元の音はツツ(「動き」の意)でしょう。転化してススやセセに変わり、さらにスンやセンになる。この中からセンが標準音として生き残った。

また「川」の字形は、水が流れる様を表わす象形文字と云えます。そして、この“記号”にセン(ツツ)の音を充てる。

一方、河はカですがカの音を持つ「可」にサンズイ扁を付けて出来ている。つまり、カの音が先に有り、これに合わせて作られた文字といえます。

  • 音はツツを残し、文字は川〔セン〕を使う。
  • 音はカを残し、文字は河〔カ〕を使う。

ここに、ツツ・カの音から二種類の声音・表字が出来ました。これ以外にも「江」なども使われますが、それぞれの文字に意味の違いが設けられます。

しかし、これは後の時代に作られたもので、始まりは同じ“水が流れる処”を表わすと思われます。文字の違い、音の違いは、単に部族の違いに依るものではないのか。

ツツカという音のうち、ツツを使う部族と、カを採る部族があり、各々が自分達が使う音と文字を用いた、という事でしょう。

 

◇「スンガイ

インドネシア語で川をスンガイ(sungai)といいます。この音は、ツツ・カ→スス・カィ→スン・ガイ、と転じて出来た音とみて間違いないでしょう。

この語は川そのものを表わす普通名詞です。大陸で使われる語、セン(川)と、カ(河)に分離する前の、元になる音です。

日本語の場合、川はカ(カワ)の音を採用しているので、ツツカは筒川など川の固有名として使われます。ただし、日本も古くは川をツツカと言っていた時期が有ったでしょう。

 

◇「三途

あの世へ行く時に渡る川を「サンヅの川」といいます。この名は、ツツ・ヅ→サン・ズ、と転じた音と見て良い。

また、「ソウヅカの婆〔ババ〕」という語があります。三途の川に有る渡し場をソウヅカといい、そこに居る老婆の事となってますが、このソウヅカのソウも、ツツ→スス→ソウと移った音でしょう。

さらにカワ(川)を表わす最初の音であるカツカ(面)が、→カヅハ→カヌバと転じ、ソウ・ヅ・カノバになる。この音に「僧都迦之婆」また「葬塚の婆」の字が充てられた。

よって、婆の字は単にバの音に充てただけ(仮名文字)であり意味は伴わない。ところが、後の時代になって「お話」として作られる過程で、字義を持ち出し、渡し場にいる老婆として使われる様になる。しかし「三途の川」「ソウヅカの婆」の元は、共に川を表わす音でした。

  •  ツツ・ヅ・カ→サンズ・カワ。
  •  ツツ・ヅ・カツカ→ソウヅ・カノバ。

*この川の渡し舟に乗るには無文銭が六枚(六文銭、また六連銭)が要ったという。だが、この設定は硬貨が造られて以降の事です。その川の歴史から見れば、最近できた“船賃制度”、といえますね。

では何故、無文銭や六文銭といった銭なのか? 恐らく、何らかの音が先ず有って、その音から連想して作られた話でしょう。その音と此の銭が、関係してる表記だったと推測されます。
※ムモンセン辺りの音が怪しい。(ンキツ・ツツ→ムミヌ・セセ→ムモン・セン、と転じたか。)

*結界の川を云う二つの名称、これらを見ると、ツツ・ヅ・カの音を元とする「三途川」より、ツツ・ヅ・カツカを表わす「葬塚の婆」の方が、より古い言い方だと考えられます。

 

◇「外国のツツ川

*「セーヌ川
ツツ・ヅ→セセヌ→セーヌ。筒川である。

*「ライン川
この音の成り立ちには、二つのルートが考えられます。

  1. アキツアイヌ→ル・アイン(ライン)。アキツに接頭語・ルが付いた音。
  2. ツツキ→ルルイ→ルイ→ルアイン。
    ライン(line)などの語も同じ源音からの語だろう。

*「アマゾン川」
アキ・ツツ→アミ・ヅン→アマゾン。
アキがアマになるのはアキツ島がアマツ国になるのと同じ音転である。

*「ミシシッピ川」
キツ・ツツ・ツ・キ→ミツ・シシ・ツ・ヒ。
北米大陸先住民族が使っていた語。ですが、白人が耳で聞いた音、また彼等にとって発音し易い音になっている可能性が有ります。

 

◇ここまで見て来た此れらの音と、意味する対象物の類似性を、偶然の産物として処理していいものでしょうか。とてもそうとは思えません。

川を表わす時、「キツ」「ツツ」「カ」といった音は、そこ此処の言語に潜んでいます。もはや人類語と云っていいでしょう。

 

「キツ・カハ」川

【ツツ考】[012]___
3-5.液体の流れ「川」

◇「キツ・カハ
 キツ・ツツ・ヅ・キ・カハ、の中のツツ・ヅ・キが移動を意味します。この音を省略して、キツ・カハになる。キツは極く初期に於いて接頭語だった思われますが、早い段階で水の意で使われます。

後の時代には川の呼称として最も一般的な形として使われる音になりますが、多様な転化をしつつ、次のような呼称(表記)でそれぞれ固有の名となっていきます。
 キツ・カハ(木津川)、キツ・カハ(吉川)、キヌ・カハ(鬼怒川)、キヌ・カハ(吉野川)、キノ・カハ(紀の川)、イナ・カハ(猪名川)、イヌ・カハ(犬川)、イト・カハ(糸川)、イサ・カハ(率川、伊邪川)…など多数。挙げるとキリがない。

 

◇「キ・カハ」⑴
 キツ・カハの音からツが落ち、キ・カハになり、多くはキの音がキィや、キといった一拍の長さになって使われます。

*「斐伊川
キ・カハ→ヒイ・カハ。キがキィと長音になり、さらにヒィと転化する。
《神世記》「所避追而、降出雲國之肥河上・名鳥髮地…」この肥河の肥の字は、一拍音でヒと発音したのでしょう。

*「免寸川
ンキ・カハ→ウキ・カハ。キの音に予唸音・ンが付きンキと発音される。さらにンがウに転じて、ンキ→ウキと移った音。
《仁徳記》「免寸河之西、有一高樹…」

*「宇治川
ンキ・カハ→ウヂ・カハ。ンキのン(予唸音)がウに、キが→チ→ヂと転じた音。
《応神記》「知波夜夫流 宇遲能和多理邇…」宇遲能和多理〔ウヂノワタリ〕とは、宇遲河の河口(巨椋池東部)近くに渡し場があったのでしょう。

 

◇「キ・カハ」⑵
堆積土によって出来た平地や湿地帯をキやアキ、またアハキといい、このキ(アキ)に出来た川(水路)をキ川いいます。
キ・カハ(木川)、コ・カハ(古川、粉川)、またアキ・カハ→アヂ・カハ(安治川)などと呼ばれる。

古い時代にはその土地自体が未だ生まれておらず、当然これらの川も存在しなかった。同じ音(キ・川)であっても通常の川(キツ川から転じた斐伊川宇治川)とは意味も成り立ちも、時代も違う。

 

◇「ミツ・ハ
 大火傷を負った伊邪那美が、その苦しみのあまり糞尿を漏らし嘔吐する。その尿に成れる神は、《古事記》彌都波能賣神〔ミツハノメ〕(書紀では、罔象女)、《記》和久産巣日神〔ワクムスヒ〕(書紀では稚産霊)とする。

ミツハとは水地〔ミヅチ〕を表わす語のキツ・カ(水の面、また液体・物質)のキがミに、カがハに変わり、キツカ→ミツハとなった音です。川や池といった水がある場所、水溜まり全般の神である。よって、この名にツツの音は使わない。

ツツは“動き”を表わす語なので、溜り水のように止まってるモノにツツは用いない。よって、省略したのではなく、始めから入っていない。

和久産巣日神の和久〔ワク〕には、二つの事が考えられます。

  • 水の祖神「ゥアカ・ムスヒ」
    ここでは水にアカ(カは拗音クァ、アクァ)が使われる。頭にウが付き、ゥアクァ→ワクと移った音に和久を充てる。
  • 「湧き」の祖神「ゥアキ・ムスヒ」
    ワキという語は、ゥアキツがワキと転・略された音である。ワキは、湧き立つ、沸き騰る、などと表現し、或る場所から物質が連続して発生する事をいいます。

▽アやアツという音は大や多の意を持ちますが、予唸音(勢い付けの始発音)が乗り易く、イア(ヤ)、ウア(ワ)といった音になります。

 

◇「アキツ・カハ」
*「山代河」大きな川。
 元は海であった。かつて、枚方と三島地域の間には入江が広がっていました。この両地の海岸線に土が堆積していき、海が徐々に狭まってゆく。その結果、いつしか川の姿を呈するようになります。

 《仁徳記》に「都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁…」〈ツギネフヤ ヤマシロガハヲ…〉とあるヤマシロ河はアキツ川です。アキツのア(大)が、ア→アツ→アムと転じ、これに予唸音イが付き、ィアツキツ→ヤムシル→ヤマシロ、と移った音で、大きな川を表している。

山代国から流れてくる川ということもあり、同じ字を使っている。尤も山代という名もまた、別の意味のアツキツです。

四〜五世紀頃の山代河(現在の淀川)は巨椋池から流れ出た短い河であったでしょうが、ただ幅は広かった。オホ・カハ(大川)とも呼んでいたらしく、当時の発音のウフ・カハに充てて鵜河の表記も使った。〈※沖縄ことばで、大村をウフ・ムラ、大城をウフ・グスクと発音する)

 

◇那岐・那美、二神による神生みで、水戸神として「速秋津日子・速秋津日賣二神、因河海持別而生神…」〈二神、河海持ち別けに因りて、生まれし神〉とある。

ここでの秋津〔アキツ〕は単に水の意なので、秋津日子はキツ・ツキ(水を・司るモノ)が本来の音と意味です。予唸音ンが付いてンキツになり、ンがアに変わっただけで、ここのアに大の意味はない。秋の発音はアクィであり、水を表わす音(ンキ)として使うのは適当ではない。

 

*「アキツ・カハ」小さな川。
 元はンキツ川であり、アはンが母音転化した調子付けの付属音です。ンキツがオキヅ→オミヅ(お水)になる様なもので、ここでのアキツ川は、「お水・川」と言っているのと同じである。

大きな河をいうアキツ・川とは規模に於いて圧倒的な差があり、間違うことは無いでしょうが、紛らわしくは有ります。
アキ・カハ(秋川)、アイ・カハ(安威川)、アリス・カハ(有栖川)、アキヌ・カハ(天野川)、などの音や表字を使う名があるがどれも大きな川とは云えない。
▽「天野川」は、枚方市を流れる川です。今はアマノ・カワと読むが、天野の字が初めて充てられた時点では別の音だったでしょう。

  1. ンキツ・カハ→アキヌ・カハ。
    ンキがアキと転じて天の字を充て、天〔アキ〕ヌ・川。ここでの「天」はアキ、「野」は、ヌの音を表わす仮名文字として使う。
  2. ツツ・ヅ・カハ。
    ツツ・ヅがテン・ヌに変わり、天・野、の字を充てる。ここでの「天」はテン、「野」はヌ、それぞれ仮名遣い。

⒈の可能性が高いが、⒉も捨て難い。

 

▽「有栖川」は、ンキツ→ウヂス→アリス(キの音はチヂリと移る)と転じて出来た音である。京都市の西を流れる小さな川です。

 

◇「外国のアキツ川」
*「ガンジス川
アキツ→アンチス→グ・アンヂス(ガンジス)。
大きな川なので、アキツだがアが撥ねてアンになり、キツがヂスに転じる。さらに偉大なものを表わす音・グが頭に乗り、グ・アンヂス(ガンジス)になる。
または、カツ・キツ→ガン・ヂス。カンは接頭語。

*「ナイル川
アキツ→ヌ・アイル→ナイル。
アキツがナイルに転じる。“大きなモノ”を表わす語・ヌが付いて、ヌアキツになる。キツがイルになった後、ァイルの発音になる可能性も無くはないが、広大な川なのでやはり初めからアキツと言ったに違いない。そこからアイルへと移った。アフリカの母なる大河なのだから。

 

「キツ・ツツ・カ」川

【ツツ考】[011]___
3-4.液体の流れ 「キツ・ツツ・カ」

◇「
 カワという音は、カツカ(面)の先のカが膨張してカハ(kaha /一音語)→カファ(ka・pha /二音語)→カウァ(kawa)と転化した音です。古代から中世に於いてはカファツカの後ろのツカを省いたカファが一般的だったようです。

アイヌ語では、ベツ、ペツ、ペシ、べ、ぺ、などの音を使う。これら音の違いは、アイヌの中での地域や時代の違いによるものでしょうが、源音はカツやカですね。

 

◇「キツ・ツツ・ツ・カハ
 これは最も古いタイプの川の呼び名ですが、時と共に転化また省略して、個別の呼称となってゆく。現在でもその音を残しているのが多くあります。転じた音が固有名になったものを幾つか挙げてみると、次のようなものがあります。
《キツ・ツツ・ツ・カハ》
 イソ・スス・ヅ・カハ(五十鈴川
 クヅ・タツ   カハ(九頭龍川)
         ※今はクズリュウと読む。
 ヒラ・タ    カハ(平田川)
 ヒロ・セ    カハ(広瀬川
 イト・タ    カハ(糸田川)
 ミナ・セ    カハ(水無瀬川
 
ここにあるキツの転化音はよく見る形です。ツツがタツ、或いはツツ・ツがタタ・ツ→タツに転じて竜の字、タタが一個のタになって田の字が充てられる。瀬はセセ(瀬瀬)に転じた後、一音のセ(瀬)のみになったものです。

 

◇「」はツツ?
 北上川最上川、犬上川、といった名の川があります。キタ(北)やイヌ(犬)の音はキツが源音であるし、モ(最)もキツ→モノと転じる音なので、すんなり入ってきます。ところが「上」の字は何だ?

川の古名に照らし合わせれば、この場所にはツツが入る筈ですが、何故ツツではなく上なのか。恐らく、元はツツだったでしょう。これには次のようなことが考えられます。

  1. ツツ→ヅン→ジン→神→カミ→上。
    ツツがジン(またシシ→シン)と転じた後、ジン(シン)の音に神を充て、更に訓読みのカミになり、これが同音の上に変わった。
  2. ツツ→タツ(タチ)。
    「上」の字をタツやタチと読む地域があって、キツ・ツツがキタ・タツと転じた音に北上の字を充てた。同様にモノ・タツ(最上)、イヌ・タツ(犬上)となる。

⑴ の可能性が大きい。朝鮮半島にあるイムジン・ガンという川の名も、先住民の言葉でキツ・ツツ・カハが元の音でしょう。キツ・ツツ→イム・ジンの転音であり、ツツがジンに移る。
そして日本では、ジンが神に、神が上に移る。

 

◇「アムール川
 中国語で黒竜江〔コクリュウコウ〕と書く。この名を見ると、(キツ・ツツ・川の)キツがキナに転じ、この音に国の字を充て、後に漢音のコクと読み、さらに同音の黒の字を充てた転音、
 キツ→キナ→国→コク→黒
というルートが見えてくる。竜の字はもちろん元はツツ。

源音は何故か日本語で解釈できる。キナの音に国の字を充てるのは、ア・キツキがオホ・キナヌシに転じて大主の字を充てる例がある。音だけを見ると日本語のように見えます。

 

◇川は人類にとって常に身近なものでした。世界中の国や言語で使われる川を表わす音は、多岐にわたるでしょうが、遡ると案外同じ音に行き着くかも知れません。

 

「ツツ・キ」禊

【ツツ考】[010]___
3-2.液体の流れ 「キツ・スス・キ」

◇「
伊邪那岐が黄泉国から戻ってきた時、云う。
「故吾者 爲御身之禊」〈故に吾は、御身これ禊を為さむ〉

*また、大穴牟遅が稲羽の裸菟に云う。
「今急往此水門 以水洗汝身」〈今すぐ此〔ソコ〕の川口〔カワクチ〕に往き、汝の身、真水を以って洗〔ススギ〕なせ〉

「以水洗、汝身」を「汝身、以水洗」と文字を置き換えれば、「御身、之禊」と良く似た表記になる。

 御〔ア〕が身を、之〔コレ〕、禊〔ミヅ・ソソギ〕
 汝〔ナ〕の身を、以って、水洗〔ミヅ・ススギ〕

御身〔アがミ〕、汝身〔ナのミ〕、この違いだけである。水洗はミヅ・ススギ、禊はミツ・ソソギ。音は少し違いますが、基本的な意味は同じです。
※「御」の使い方については別稿で示す。

 

◇神社の拝殿に参拝する前には手水舎で身を清めるが、柄杓の水を落下させて手を濯ぐのは略式のミソギです。

食器洗いや衣類の洗濯も、ススギは綺麗な水を流し乍ら行なうものです。溜り水で行うのをミソギとは言わない。

◉ミソギとは「流れる清い真水」で行なう事を意味する言葉であり、必ず此れを前提とする。

 

▽ちなみに。
 身に付いた穢れを削ぎ落とすので、ミソギは「身削ぎ」である、という解釈が一部にあります。ミソギのミは水であって身では有りません。「削ぎ〈ソぎ〉」とは、道具を使って削ることをいい、水で洗う事とは行為自体が違います。
※「削ぎ」:表面に付いてる物や、表面自体を何らかの道具を使って薄くこそぎ取る(また、削り取る)こと。

 

「ツツ・ヌ・キ」血

【ツツ考】[009]___
3-1.液体の流れ 「ツツ・ヌ・キ」

◇「流れる血
 伊邪那岐命迦具土神を斬る。その時、使った剣・切った頸・刃を伝い流れる血。これを《記》では次のように書く。

①   於是伊邪那岐命
    拔所御佩 之十拳劒
  斬 其子迦具土神 之頸
    爾著其御刀 之血

    是に伊邪那岐命
     御(身)に佩〔ハ〕きし これ十拳劒を拔き
   斬 其の子、迦具土神 これ頸〔ネツキ〕
     其の御刀の前〔サキ〕に著きし これ血

 

また、ここでは斬の文字を棚に置く“三行棚字”になっているので、この後に続いて書かれる②「次著其御刀之血」、③「次集刀之手上血」の二つの語句それぞれの前の位置にも、「拔所御佩 之十拳劒」「斬 其子迦具土神 之頸」の二行を同じ場所に置くべきですが、重複を避けて省略している。

② 次 伊邪那岐命
    拔所御佩 之十拳劒
  斬 其子迦具土神 之頸
    著其御刀 之血

③ 次 伊邪那岐命
    拔所御佩 之十拳劒
  斬 其子迦具土神 之頸
    集御刀 之手上
※この末行の本来は「爾集御刀手上 之血」だろう

 

 

◇頸を斬るのに使った十拳劒、その刃先、刃元、柄〔ツカ〕、に流れ滴る血のそれぞれに神が宿る。

湯津石村〔ユツ・ィハムラ〕は刀身を言うのだろう。だから①と②だけに置かれる。③は柄なので記さない。(※ユツ・ハムラの原音は、キツ・カツラでしょう。)

①"  (爾著其御刀前 之血)
    走就湯津石村 所成神
    名、石拆神
    次 根拆神
    次 石筒之男神 三神

②"  (次 著御刀 本血) ※著其御刀本 之血
    亦走就湯津石村 所成神
    名、甕速日神
    次 樋速日神
    次 建御雷之男神
      亦名建布都神
      亦名豐布都神 三神

③"  (次 集御刀 之手上血) ※集御刀手上 之血
   自手俣漏出 所成神
    名、闇淤加美神
    次 闇御津羽神

 

*「十拳劒・石拆神」石拆は、イハサキ。
キツ・カツキが、イツ・ハツキ→イ・ハサキ、と転じて石拆の字を充てる。
」の字はイシとイハ(イワ)のどちらの音にも使うが、ここはイハ(イワ)である。
」の字はサキ(裂、割)の音に充てる。
◯キツ・カツキは、別の転音ではイ・カヅチ(雷)になる。
〈注:発音として、ハはファ、ワはウァ。〉

 

*「頸・根拆神」根拆は、ネサキ。
頸の古和語をネツキというが、ネサキと転じた音に根拆の字を充てる。頸(ネ)を斬り裂いたことに依る。

 

*「血・石筒之男神」キツ・ツツ・ノ・ヲ。
ここでは、ツツ・ヌ・キの音が〈流・之・血〉と〈戦・之・男〉の両方を担っています。

住吉神社が祀る海神(底・中・表の筒男命=潮流)を武神として扱かうのも、同じ理由からです。またツツ・ヌ・キは、ツツルギ→ツルギと移る剣の原音でもあります。
*刃の、前〔サキ〕の血/刃先。
    本の血/手元近く。
    手上の血/柄の手を濡らす。

これらは剣を、先の刃、手元寄りの刃、握る柄の三つに分けて、それぞれ流れる血(ツツ・ヌ・チ)に成る神をいいます。

*筒之男だけならツツノヲだが、石の字が乗っているので、キツ・ツツヌキ→イシ・ツツノヲ、と転じた音に、石筒之男を充てる。ここでの石の字はイシ(キツからの転)の音に使う。

 

「ツツマ」天満

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【ツツ考】[008]___

◇「天満
《仁徳紀》號其水曰堀江

 堀江を作る際に出た掘削土は、高津宮の西(大阪湾側)にも敷かれたでしょう。その平地はツツカといい、転じてセンバと呼ばれます。そして、以降それぞれの時代で千波、洗場、そして舟場、などの字が充てられる事になります。

堀江の北側にも土を広く敷き詰めたでしょう。その地をツツマといい、この音がツンマ、そしてテンマと転音して天満の字を充てる。

「何を言ってる? 天満宮があるから天満だろ。」

違うと思う。テンマ(ツツマ)に有るから天満宮だと思われます。京都の北野天満宮だって川縁〔かわべり〕の未開地(キツノ)に、土を敷き詰めて出来た地(ツツマ)に造られています。

北方面にあった土地なので、キツノの音に北野の字を充てます。地名が先です。

天満の名の由来って知ってます? 「菅原道真の怨霊が雷神となって天に満ちたから」なんて言われてます。そんな地名由来を信じるんですか? そもそも、テンマの地名は道真が生まれるより、ずっと昔から有ったでしょう。

 

*堀江の、北と南のツツカ(またツツマ)に対し、音に違いを持たせて呼び分けが為された(センバとテンマ)と考えられますが、意図的というよりも自然に音分けが進んだと言う事でしょう。

 

◇堀江の北は埋葬地でもあったことにより社が作られ、これを天満の社と呼んだ。
初期の頃はおもに埋葬業務に携わる役目を担ったと思われますが、或いは堀江や神社が出来るよりずっと昔から、岐神(フナトのカミ/海の守り神)が置かれていたのかも知れない。

*岐神とは、邪悪な神の侵入を防ぐ強い神、キツ・ツキ(岐〔キ〕ツ・神〔キ〕)から始まる。キツが、→キヌ→クナと移る。クがフに転じ、フナ・トキの音に変わったのち「船・渡御」の字を充てた。

 

◇「天神
 時代が下って、何故か菅原道真を祀るようになり、すっかり学問の神を祭る社に変貌してしまいました。何故、道真が主祭神なのか。社〔ヤシロ〕の歴史は道真より古い筈なのに。

天満宮の傍には必ず川が流れている。京都の北野天満宮の西には天神川がある。道真は天神と呼ばれる。どう関係してるのか。

神社によっては、時世の変化に合わせて祭る神を新たに加えたり、合祀される神の扱いを変えることは珍しくなく、結構いい加減です。それにしても、天満宮主祭神が入れ替ってしまったようです。

古代から「岐神・塞神〈フナトのカミ・サエのカミ〉」を祀る風習はあった。それに「菅原道真・天神」が合体し、「天神祭り」となっていったのでしょう。

人口の増加は町を裕福にします。それに伴い祭りも盛大に催されるようになる。長い歴史を経た天満宮は、すっかり土地に根を張り、町衆からは親しみを込めて “ 天神さん ” と呼ばれています。

 

上町台地の北にある低地は、かつて千里丘陵と繋がっていた名残りですが、同時に川が運んできた土砂の堆積によって出来た土地でもあります。

その中で天満の辺りは比較的高い地形であることが衛星解析写真によって見て取れます。これは堀江の掘削によって出た土が、大量に乗っているからではないか。

また、神社周辺は早くから木々が茂る森になっていた(天神の森と呼ばれる)ようで、これも浸水の無い高い土地であったことによるものでしょう。

 

◇舟場(千波)は難波大坂の中心地ですが、天満地域にも多くの人が住み、「天満千波地子五千石」と云われ、慶長十四年(一六〇九)の頃の人口が、両地合わせて少なくとも二十万人は暮らしていただろうと推測されています。

 

▽ちなみに「扇町
 大阪天満宮(天神の森)の北には低地が広がっており、その一角に扇町と呼ばれる地がある。この地名の元は、二つのことが考えられます。

*ツツマ・チ→センマ・チ→扇町→オオギマチ。
◯ツツがセンに転じた音に扇の字を充てるが、後に訓読みオオギになる。

※センマ・チの音に扇町を充てるのは重箱読みになる。ただ、洗場、舟場、なども同様であり表記としては何ら特殊ではなく、むしろ普通のことです。

*アハキ・マ→オホキマ・チ。
◯地続きの堆積広間をアハキ・カラツマ・チという。この音の略され方は色々あって、アハキ・ハラ、アキ・マ、オホギ・マ・チなどになる。このオホギに扇、マ・チに町が充てられる。

※そもそもマチ(町)という語が、カツマ・チ、カヤマ・チ、タギマ・チ、といった「マのチ」から出来ている。
 

或いは、これ以外の理由(例えば、扇作りが盛んだったから、とか)があるかも知れないが、今のところその痕跡は見つけられない。

 

堀江

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【ツツ考】[007]___
⒉ 空間「ツツカ」

◇「堀江
《仁徳紀》
 十一年冬十月。掘宮北之郊原、引南水以入西海。
 
因以號其水曰堀江。

宮の北の郊〔はずれ〕の原を掘り、南の水(大和河)を引き以て西の海(大阪湾)に入れり。因りて其の水(河)を以て名付けて曰く、堀江。

 

南の水を西の海に通す工事とし、この水(川)を名付けて曰く「堀江」と記している。(大和川の水を大阪湾に流す水害抑制の為のバイパス運河と思われる)
※現・大川と推定されていますが、間違い無いでしょう。運河と書きましたが、大阪湾と難波津の入江を繋ぐ形なので、小さいですが人工的“海峡”と言った方が正確かも知れません。

堀った幅はそれほど広くはなかったように思われます。せいぜい曳船がすれ違える程度でよかった。あとは水流が両岸の土を、勝手に削っていってくれる。しかし長さは2km程度あったでしょう。結構な距離です。(現・大阪城北詰あたりから、その頃の海岸線だった淀屋橋あたりまでとした場合)

当然、大量の土が出た筈ですが、これをどう処理したのだろうか。堀江の周辺の低地に、敷いたであろう事は容易に想像がつきます。

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◇かつて(五千年以上前)此処ナニワに有った入江は、東の生駒山、西の難波崎、南は八尾・平野の地、北は三島の入江に至る広い内海でした。

ところが、4〜5世紀の頃には大和川が運んでくる土砂により、水地南部が既に広い扇状地になっており、その平地に幾本にも分かれた細い川が北に向かって蛇行する、そんな環境になっていた。

 

◇また、大和川と淀川の水が両方からやってきて、ぶつかる辺りは更に土が堆積し易く、入江を南北に分ける様な土地が出来ていた。この陸地はカツマといい、転じてカドマと呼ばれたようです。

初期の頃は、入江に出っ張った角地のようであったことから、カドマの音に角間の様な字を充てたのかも知れません。今の表字は門真になってます。

この陸地の西の先端は徐々に延び、難波崎の側〔ソバ〕まで達し、その辺りはカツマ・チ(現・片町)と言われます。これによって南の水の出口が狭まくなり、雨量が多いと捌ききれなくなった水が、川淵の民の田畑を浸す。

水路の新設が求められた。ルートは。規模は。日数は。費用は。人は。時期は。役人が集まって、色々考えたでしょう。どうしたものか。無理かも。でも、何とかしないと。そして…。
「よし、十月から作業を始めよう」
鶴の一声だった。

 

◇《書紀》の、先の文章(堀江、云々)に続けて、次の記述もあります。
  又、將防北河之澇、以築茨田堤。
 是時、有兩處之築而、乃壞之難塞。

[澇]イタツキ。ここでは、大雨による浸水、の意。「イタんだ・ツキ(傷み・の地)」が原音(原意)でしょうか。[築]ツキ。元はツツキ。土を集めて作った盛山。[堤]人工堤。堤防。

ここにある「北河」に返り点を付け“河の北”と読み、大和川の河口と見る向きもあります。しかし、ここは、そのまま“北の河”、つまり淀川を指します。その昔、カドマの川べりであったろうと思われる地に、今も茨田堤跡の一部が保存されている。

また「兩處〈フタトコロ〕の築〔ツツキ〕が有るが、壊れていて水を塞げない状態になっている」と、大雨や長雨による浸水被害を危惧してる。

堆積土によって出来た低地であるがゆえ、カドマの地もまた水害に悩まされていた。これを解消するための堤〔ツツミ〕また築〔ツツキ〕が必要となっていた、という事です。

ただ、堀江の掘削で出た土が、此処に使われたかどうかは分かりません。少し距離が有ります。使われたとしても、そう多くではないでしょう。大半は近くの平地・湿地に対して行われたと思われます。

 

何れにしても、堀江を作ったことで水害を減らし、出た土を盛って低地の海抜を高くする。一石二鳥…と、思い付く事はあっても、実行するのは難儀だった事でしょうね。

 

 

◇「結界
「堀江」は水害対策として掘られたのは間違いないが、実はもう一つ理由が有ったのではないでしょうか。
扇町(アハキ間の地)、北野(キタノ扇町の隣りにある地名)、兎我ッ野〔トガツノ〕、堂山〔ドウヤマ〕、茶屋町(チャヤマチ/元はカヤマ・チ)…。この辺り一帯にある地名ですが、全て埋葬地の呼称です。

 

巨椋池の西にある葛野地域(乙訓、神足、桂などがある平地)は人が暮らす地。
嵯峨野〔サガツノ〕、化野〔アダシノ〕などは、所謂 “祝園〔ハフリソノ〕”の地、また刑場。
これを隔つ幽顕仕切の役割を持つのが桂川

このような結界をナニワにも作りたかった。そんな思いも堀江を作る目的の一つだった、というのも大いに有り得ます。