15「嵯峨野」

地名国名[034]
15、ツ・カツノ

◇「嵯峨野
 カツノの頭に「ツ」が付いたツ・カツノと呼ばれる語があります。このツがサに替り、サ・ガツノ→サガノと転化省略して、地名になりました。

桂川の北に嵯峨野があり、少し西に小倉山や愛宕山などがあります。これらの名は平安京が造られるより、遥か昔からあったと考えられる。

かつて、桂川の南に広がる居住地のカヅノ(葛野)に住む人達は、桂川の北の地を墓域や刑場などに使い、この地をツ・カツノと呼んだのでしょう。

桂川をその結界と見立て、川の傍らに死者を埋葬する作業に関わる “ 役所 ” として置かれた社が、松尾神社の始まりではないか。

 

*時代が下り、桂川に橋が架かるようになった。後の時代にはこれを渡月橋トゲツキョウ〕と呼ぶようになるが、この命名者は亀山上皇とされる。

しかし、ツ・カツノの名は大昔から存在している。葛野から見て、トガツノに渡る橋なのでトガツノ橋。昔から呼ばれているこのトガツ(トゲツ)の音に「渡月」の字を充てた人が亀山上皇というだけの事でしょう。

f:id:woguna:20221129031518j:imageこの他、橋の名としては南側にあった法輪寺の名から、法輪寺橋、宝輪橋、御幸橋などがあった。また大橋、嵐橋などとも呼ばれたようだ。ただ、それらは皆、平安京側から見た一時〔イットキ〕の呼び名である。

サガノの役割は平安京以降になると、一部の地域は貴族の別荘地として使われました。とは言っても、墓場や刑場は以前と同様に存在し、それは最近(明治初期)まで続いていた。

処刑された人の死体は埋葬されない事も多く、その場に放置され野晒しとなる。あとは山犬、野犬などの餌となり、一週間も経てば白骨となって散らばる、そんなアダシ野だったのです。アダシとはアダキ(仇者、穢れ者)の意です。

化野〔アダシノ〕には、かつて人骨が散乱していたといい、近年になって地域の人達がこれを集めて手厚く弔〔トモラ〕ったという。

此処もまた、敢えて縁起の良い名「サ・カツノ」と呼んだのです。

 

f:id:woguna:20221129030131j:image

◇「兎我野
 大阪のキタにある兎我野〔トガノ〕という地名もツ・カツノから転じてトガノと発音されるだけで、意味は同じです。音に則して書けば「兎我ツ野」とツを入れるべきでしょうが、表記の際にツは書きません。よくある事です。

《仁徳紀》の記事(鹿の鳴き声に癒されてた話)にある菟餓野は、まさにこの地だと思われます。難波崎(現・上町台地)が途切れた北の先にある平地です。高津宮の高殿からは、広く全面を見渡せた事と思われます。

上代の頃から一部の土地は、墓地や刑場として使われていたのでしょう。トガツノとはそういう場所をいいます。

この地域からは、近年のものですが、あちこちから墓石〔ハカイシ〕が出てきます。