9「スワの海」

地名国名[026]
9、ツ・アツ・キツ ンミ

◇「スワの海」
 ツ・アツ・キツミ→ス・ゥアヌ・ ンミ
        →ス ワ ヌ ウミ
         諏 訪 の  海(周芳の海)

 頭に置かれるツは西方面を表わし、アツ・キツミは広い水地をいいます。全体として「西の海」の意になります。

頭のツがスに変わり、アツはアヌになる。キツミはミだけに略されますが予唸音ンが付き、ンミと発音される。ンは後に母音(ここではウ)になり、ンミ→ウミと転音し、ツ・アツ・キツミ→ス・アヌ・ウミの音になる。

さらに、スの尾母音・ウとアが拗合して「スゥア(スワ)」になり、この音に諏訪、周芳、などの表字が多く使われます。

*「スア」の音は、ややもすると「スァ(拗音)」や「サ」になりがちですが、そうはならなかった。スとアをはっきり分けた音にしたかったのでしょう。ただ、アはワ(ゥア)になってしまいます。

当時のサ行は恐らくシャ・シ・シュ・シェ・ショ、と発音していたと思われます。スは彼らの耳で感知する音のシュに諏(周)の字を、ゥア(ワ)はウがフに移り、→ア(ハ)→ファン(ハン)→フウ(ホウ)と転じ、訪(芳)の字を充てる。よって、シュ・ホウに諏訪や周芳の字が充てられた。

 

○「州羽の海」
《神世記》大国主の国譲りの条に、天鳥船神に敗れた建御名方神大国主の子)は逃走するのだが科野国の州羽海で追いつかれる、そんな話が載っています。

野国が信州だとすれば、州羽海(現・長野県の諏訪湖)の呼称は、此処より東側(甲斐国甲府辺り)に住む人達から見た呼び方です。

大国主の領地である出雲国が現在の島根県だとした場合、此処でいう科野国は東方面にあり、スワ(西の地)という語は少なくとも天鳥船神や建御名方神にとって、使うべき呼び名ではない。

それとも、長野県の諏訪湖は神世の時代にあって、既にスワノウミという呼称ですっかり固有名詞化していて、全国的に定着していたとでも云うのでしょうか。

神話だからといって、どんな無理でも通る訳では有りません。まずはシナノもスワノウミも音として、また普通名詞として扱う必要があります。

 

○「周防の海」
 このスワノウミの場所については単純に、瀬戸内海の西(九州北部と山口県の間)にある周防の灘(スワの海とも呼ぶ)とすれば良い。

すると当然、科野国山口県の瀬戸内に面した地域になるが、これも一候補でしかなく、はっきりと場所を特定することは難しい。

 

◇「科野」「信濃
《斉明紀》六年十二月に「科野國言。蠅群向西、飛踰巨坂」〈科野国から言ってきた。蠅の大群が西に向かって、巨坂を飛び越えていった。〉とありますが、この科野国が果たして今の何処なのか。少なくとも、長野県ではないでしょう。

《天武紀》十二年十一月「凡都城宮室、非一處必造兩參、故先欲都難波。是以、百寮者各往之請家地。」〈凡そ都城ツツキ、宮室ミヤキは必ず一ヶ所だけということはなく、二、三、造っていい。故、まず都を難波にと思う。よって、百寮モモノツカサはおのおの行き、家地イエドコロを請え〉

同十三年二月には「於畿內、令視占應都之地」〈畿内で、都に適した地を視占させた。〉また「於信濃令看地形、將都是地歟」〈信濃の地形を視察させた。都になりそうな地を。〉としている。更に三月「天皇、巡行於京師 而定宮室之地。」〈天皇は、京内を巡行され、宮室の地を定められた。〉

この信濃(科野の異字表記)は難波のことを指していますね。

 

◇科野国信濃)とは、キツ・ヌカツマ(→シナ・ヌ・カシマ)の音に対する標準表記であり、特定の地を表わすものではない。七世紀でさえこうである。まして、はるかに古い天孫降臨の時代にあって、シナノが固有地名であったなどとは思えない。

よって《古事記》にある「科野国之州羽海」を長野県の諏訪湖とする事に「済」のハンコは押せない。更に考える必要がある。