【ツツ考】[005]___
⒉ 空間「ツツキ」
◇「高千穗」
《記》には次のような高千穗が出てくる。
*高千穗とは何か。高の字は優れたものを表わす褒称の接頭語であり、音はタカ以外に、アツ、オホ、といった読みも有ったのではないか。
「ツツ」という音は色々な音に転じて使われますが、チチやセンに転じると「千」の字がしばしば用いられます。例えば、千日前の千日はツツカ、千本通の千本はツツホ、というのが原音の可能性があります。
穂の字はカ行音から転じたホの音に充てる。よって、高千穂とは高ツツキ(また大ツツキ)が元の音と考えられます。
九州には高千穗が二ヶ所ある。しかし、太古に於いてタカチホという呼称が、特定の土地を指す固有地名だったとは考えづらい。九州の此れらを邇邇芸命が降り立った地、また伊波禮毘古の出身地、などの候補地の一つとするのはよいが、決め付けるのは危険です。筑紫日向が、そもそも九州だけとは限らない。
◇「穴穗」
*成務天皇(十三代)は、近淡海之志賀高穴穗宮。
*安康天皇(二十代)は、石上之穴穗宮。
これらを御所とするが、ここにある穴穗の穴とはなんでしょう。或いは突の略字でありツツと読むのではないか。また、宍〔シシ〕なのかも知れません。いずれにしろ、高穴穗は高ツツキであり、王が住まう地の呼称と見る事ができます。
*安寧天皇(三代)は、浮穴宮。穗の字が落ちていますが、恐らく是もまた元は大穴穗宮だったのでしょう。大の字をオホキと読み、→ウフキ→ウキと転じて発音され、この音に浮〔ウキ〕の文字を充てている。(書紀では浮孔宮とするが、ここでは穴の字まで孔に書き換える愚行を犯している。)
*宮崎県の都城〔ミヤコノジョウ〕など、そのままでしょう。元は都々城〔ツツキ〕であったと思われます。「漢書に都城〔トジョウ〕の文字が有る」そうですね。それが、どうしたんですか?
*《天武紀》十二年十二月の条に「凡都城宮室非一処、必造両参。故先欲都難波」〈凡そ都城や宮室は一ヶ所ではなく、二・三は必ず造る。故、先づ難波に造ろう〉という記述があります。
ここにある都城・宮室は、王が住む土地、暮らす建物を意味するものであり、ツツキ・ミヤムロを難波にも造ろうと云っているのです。
*山代のツツキ(筒木、今は綴喜)の地。埼玉県のチチブ(秩父)。沖縄県のシュリ(首里)。高麗のソルギ(疏留城/《天智紀》元年春の条)。これらも恐らくツツキが原音でしょう。
*「ツツキ」とは。
始まりは恐らく、環濠・城柵に囲まれた立派な「王城の地」(王が住まいする集落)を指すと思われます。これをオホ・ツツキと云った。ツツキがチチホと転音し、この音に高・千穗の字を充てた。そしてまた、この濠や柵に護られた内側の敷地をカツノ、ツがサに転じてカサノといい、更に略してサノ(佐野)といいます。
また、仕切られた良い空間はソノ(苑、薗、曾野)と呼びます。
◇「音と表記」
*筒木〔ツツキ〕、綴喜〔ツヅキ〕、都築〔ツツキ〕、飛鳥〔ツツキ〕。
*ツツキ(都都城→都城)、ツツホ〈突穗→穴穗)、チチホ(千千穗→千穗)、シシヂ〈宍道)、シシホ(宍穗)、チチフ(秩父)。
王城の地は整地された広い平らな空間だったのでしょう。これを上代の人はツツキといい、さらにキがホに移りツツホと呼ばれる。
キツ川の一つがホツ・カワ(保津川)になり、カツマがホツマやホラマになるように。「ホ」の音には、素晴らしい、神聖な、といった意味がある。
*先にも出ましたが「浮孔」は、本来、オホ・ツツキであっのが、大穴穂〔オホキ・アナホ〕といった表記と発音がなされる。
大の字をオホキと読み、オホキ→ウフキ→ウキと転じた音に浮の字を、穴を同義の孔の字に書き換えたものと思われます。
ここまでイジられると、この語だけから原意に辿り着くのは最早不可能でしょう。書紀にはこういうのが多い。
◇「都城」
大陸に於ける都城〔トジョウ〕とは、城壁によって囲まれた大きな町をいいますが、これも元はツツキではなかったか。特に周代に見られるが、周は何かと文化的に日本と近い国です。
現在、中国〔チュウゴク〕と呼ばれる国を支配している種族とは異なる先住民族が、かつてこの地域に広く住んでいたのでしょう。
▽ちなみに。
竜宮城とは「ツツキの宮」の音に「都都城ノ宮〔ツツキのミヤ〕」の字を充てたのが最初の表記だったのではないか。この都都〔ツツ〕を竜に変えて「竜城ノ宮」となった後、作為が加わる。
意図的か勘違いかは分かりませんが、何処かの時代に竜城宮の「城」と「宮」とが入れ替わり、竜城・宮→竜宮・城、と文字移動した。
「在海中」〈海の中にある〉という書きように対し、これを海底・水中にある城とするのですが、解釈の誤りですね。勿論これは海の彼方の意です。当たり前でしょ。
なのに、火遠理命(山佐知)も、浦島太郎も、みんな海の底に行く。