地名国名[011]
3、キツ・カツマ〈4/5〉
◇「日向国」
キツ・カツマ→キブ・カィシマ→ヒ ム・カイシマ
日 向 国
キツ・カシマ→ヒム・カシマ→ヒウ・カ シマ
転化ルートは二種類あります。⑴ヒム・カィシマ。キツが、キブ→ヒムと転じ、カシマのカがカィと膨らんでカィシマの音になる。⑵ヒウ・カシマ。キツが、キブ→ヒム→ヒウ(ヒュウ)と転じる。
文字は⑴のヒム・カィシマに「日向・国」を充てた表字を採用し、音は⑵のヒウ・カシマを使う。この二つの音の違いは、時代の違いというより、部族の違いによるものではないだろうか。
のちの発音はヒュウ・ガシマになりますが、シマの音が普通名詞の扱いになることで、ヒュウガ、がこの地の呼び名となってゆく。
朝日に面して海岸線が続く地、という環境が必要になりますが、真東に直面しているとは限りません。日の出が望める長い海岸であればよい。この条件にある地は、日向国の字を使う。
時代を経るうちに、宮崎県(九州島南部東側)のヒュウガシマの名が生き残って固有地名となりました。京都には向日〔ムコウ〕という地名があります。(※こちらは、キツ・カツカが原音でしょう)
◇「丹波国」「旦波国」
現在、丹波と呼ばれる地は京都府北部をいいますが、これは平安時代以降にできた区割りによるものであり、古く(上代の頃)はむしろ南部の巨椋池周辺や三島、高槻、また吹田辺りまでの地域だったという説があります。
とりわけ桂川と大山崎(天王山)の間に広がる平地、また、そこに営まれていた集落群(クニ)を胆波国と呼んだ可能性が高いです。乙訓〔オトクニ〕、葛野〔かどの〕などの地名がある今の京都市西京区、長岡京市、向日市など一帯の地域。
『推説・1』
キツ・カツマ→イツ・ハシマ
膽ツ・波 国→ 胆波国(旦波国)
キツがイツと転じて、イの音を持つ膽(和訓読み)の字を充てた。のちに画数の少ない同字の胆になります。さらに、にくづき偏をにん偏にした但の字、ついには偏自体を除いた旦の字を使うようになる。
ところが、膽や胆は訓読みでイを表す文字として使っていたけど、旦にイの読みは有りません。その結果、音読みのタンと読むようになる。また時を経て、同じタンの音を持つ丹の字なども使われたりして、地名の由来はいよいよ分からなくなっていった。
『推測・2』
カツ・カツマ→タツ・ハシマ→タン・バシマ
旦 波 国
規模の大きなクニを表わす時には、キツの場所にカツの音が乗る。ここではカがタに転じて、カツ→タヌ→タン、と転音する。
このタンに旦を充てるのは、東に巨椋池が広がっており、その池越しに朝日がまともに当たる土地であることによるものだろう。
また、向日〔ムコウ〕という地名もある。キツ・カツカ→イム・カィツカ→ムカイ(ツカが省かれる)→ムコウ(音便による)
*イム・カィツカ(居向ツ日)から向日(ムカイツカ)の字が残り、音はムカイ(ムコウ)を使う。ここでの日の字はカの音に充てる。
*推測を二つ挙げましたが、恐らく1でしょう。「膽」は画数の多い難しい字ですが、古い時代ではイの充て字として意外に使用頻度が高いです。例えば、膽駒山(生駒山)の表字は、古文書の中で直ぐに見つける事ができるでしょう。
[012]へ、つづく。