3-1「キツカツマ」

地名国名[008]
3、キツ・カツマ〈1/5〉

○「キツ」とは何?

太古の日本人は(いや、人類は)単語の頭に強調や褒称の音を乗せるという事をしていました。

幾つかの音がありますが、恐らく最初に使った音がキであり、これが後々まで標準的な音になります。接頭語として使う時には一拍音にするため、キの後ろにツを付け「キツ」の形になるようです。

 

 

◇「キツ・カツマ」

 土地を表わすカツマの頭にキツ(良い)が付き、キツ・カツマという呼称になり、全体として一つの単語のように使われてきた。

ただ、時を経るうちに、必ずしも良い土地でなくとも、陸地や土地を表わす語としてキツカツマが一般化していった。地域が異なれば発音も微妙に変わってゆくが、永く普通名詞としての語であったと思われます。

時代が進むと共に、その土地の特徴を表した音になったり、また自所と他所との呼び分けのためなどで、敢えて独自の音に変えるといった事もあったかも知れません。

その音が次第にそれぞれの土地の名、また国の名になってゆく。尤も、このような固有名化が顕著になるのは、それほど遠い昔の事ではないように思われます。

ここにキツ・カツマから転じたシマやクニの主だった呼称を、幾つか並べてみる事にします。(生島、吉備国出雲国日向国、伊都国、瑞穂国、秋津嶋、日本、淡路島、沖縄、八代、山代、邪馬台国、漢委奴国)

 

○「生島」〔イクシマ〕
 キツ・カツマ→イツ・クシマ→イ・クシマ(生島)

*何も無かったところから “生まれた島” だから生島の字を充てているが、この表字が先でイクシマの音ができたのでは無い。島も国もカツマであり、よって生島は生国と書くこともできます。

昔むかし、難波崎の北端あたりの高台に陸地(大小の島々)の神を祀る社があった。これを生国魂〔イク・クニ・タマ〕神社といいました。主祭神生島大神・足島〔タルシマ〕大神です。

注意しなけらばならないのは生島・足島を祀るのではなく、これらを作った大神を祀っているのです。魂の字はムスイ(産巣日)であり、産みの祖〔オヤ〕の意です。生国魂は「キツ・カツマ・ムスイ」(陸を・産んだモノ)の音が元の呼称と見るべきでしょう。

社伝には、神武天皇か東征の際、鎮祭したとするが、これは恐らく後世の作り話ですね。社はそれより遥か昔から有ったに違いない。何故なら、シマを産む神を祀っているのだから、神武の時代とは圧倒的に歴史が違う。

平安時代に八十嶋祭〔ヤソシマ・マツリ〕というのがあり、永らく続いていた様です。宮中が主催する祭事であり盛大に行われ、位の高い宮仕えの女性達が多く参加しています。生命の誕生を祝い、子孫繁栄を願う、といった催しであったと思われます。

西宮記》に「今日、被立八十嶋祭使、御乳母典侍藤原家子、行装之儀 世以為壮観…。」《文徳実録》に「典侍藤原朝臣泉子、御巫無位榎本連浄子等、向摂津国八十嶋」など、女性の名が並ぶ記事が見える。

根底にオノゴロシマ信仰があり、八十嶋がその聖地と考えられていた。難波崎の “北の海” に沢山の小さな州(シマ)があったのでしょう。当然、生国魂神社も大いに関わっていたに違いありません。

 

▽ちなみに。現在の生国魂神社は難波〔なんば=街の名〕から東へ徒歩15分ほど、松屋町筋を渡った場所にあります。十六世紀後半、大阪城築城に際して現在の地に移転しました。

八十嶋の海からは遠く離れてしまいましたが、庶民に根付いた神社であり、昔も今も地元の人からは「イクタマさん」と呼ばれ親しまれています。

[009]へ、つづく。