3-2「吉備国」

地名国名[009]
3、キツ・カツマ〈2/5〉

◇「キツ・国〔カツマ〕」
 或る地域を意味するカツマとは、一人の首領を王とした集団がテリトリーとするシマ(国)をいう。日本列島には縄文時代の末の頃から、時代が下がるにつれてそんなキツカツマが多くできつつあった。

○「吉備国
 キツ・カツマ→キブ・カシマ →キビ・カシマ
               吉備 国
       →キビ・ヌカシマ→キビのコシマ
               吉備の児島

キツのツが、→フ→ブ→ビ、と転じてキビになる。或いは黍〔きび〕の産地だったのかも知れないが、その事が名の由来ではありません。

岡山県には児島と呼ばれる地域がある。カツマがコシマと発音され児島の字が充てられます。その環境の良さから太古から多くの人が住み、栄え賑わうクニが有ったことが窺えます。

児島は本州と地続きなのに、なぜ島と云うのか。「昔は島だったからでしょ」「たぶん、沖を行く船からは島のように見えたからだろう」などという人がいました。

ここでの島は地域、また領地のシマ(志麻)を指し、水に囲まれた陸地のシマ(志摩)ではないです。確かに古い時代には志摩だった様ですが、人が住み始めた頃には既に本州と繋がっていたと思われます。
児島はこの地域に住む人達が使ってる呼称であり、かつてどうだったとか、沖を行く船の人がどう呼ぶかなど、関係ないでしょう。

 

◇ある時、キツ・カシマ(吉備国)と何処かのキツ・カシマとの間で争いが起こった。双方が相手のキツ・カシマを鬼ツ国(キツ・カシマ)と表記した。

戦いは吉備国が勝利を収めたが、相手のキツ・カシマ(鬼・国)はいつしか鬼の字を訓読みにし、オニ・カシマと呼ばれ伝承される事になる。勝敗が逆なら吉備国がオニ・カシマとなっていたでしょう。ただそれだけの事です。

「鬼ヶ島に住む鬼さんたちは平和に暮らしていたのに、突然、侵略者・桃太郎がやって来て、乱暴の限りを尽くした挙げ句、島民が大切に守って来た宝物を奪略していった。あぁ、なんて可哀想なオニさんたち。なんて酷い桃太郎・・・」

という幼稚で浅はかな判官贔屓に因る空想話は、敗者に思いを寄せる “善良で心優しい人間” になった様な気分に浸れて、さぞ心地よいでしょう。だが、歴史の見方として何の真実にも行き着かない。

◇「鬼ヶ島」について。キツ・カシマの音に充てた文字です。音をそのまま書けば、鬼ツ・国(キツ・カシマ)ですが、表記ではツを書きません。キツをキヌ(またキナ)と発音した場合は鬼奴国の字を充てます。

これらは特定の土地を示す固有名ではなく、他所のキツ・カシマ(国)を文字にする時によく使う普通の表記です。

鬼の字には、大きい、強い、といった良い意味もあるが、少なくとも自国の表記に鬼国や鬼奴国を使う事など無かったでしょう。一般的には、紀国、木国、と表記されていた紀や木の字が、侮蔑的な意図を持って同音の鬼に書き変えられたと思われます。

大穴牟遲が八十神からの迫害から逃れて木国に行くが、現在のどの地をいうのか推測の仕様も無い。鬼国、紀国、木国、これら全てがキツ・カシマなのである。

[010]へ、つづく。