2-1「クニ」と「シマ」

地名国名[005]
2、カツマ〈1/3〉

①「カシマ」
*「土地」
 面を意味するカツカの後ろのカ(処)がマ(間)に転じて、カツカ→カツマの音になる。のちにツがシに変わりカシマになり、さらに略してシマの音で定着する。陸地、土地、などの意。

ただし、二種類の使われ方が有るので、見分けが必要になってきます。
a、水に囲まれた陸地。  嶋。州。洲。志摩。
b、陸地の中の或る地域。 嶋。国。洲。志麻。

◇二神(伊邪那岐伊邪那美)による国生みの記述で、《古事記》では全て嶋の字が使われ、aとbの区別がない。それにより、どうしてもaの意味で解釈してしまいがちである。

《書紀》では大八洲国(初めに産まれた八つのシマ)には全て洲の字を充て、その他、諸々のシマには嶋を使う。ここでの洲と嶋は大小による書き分けであり、a・bを意味しない。

国史作りの史料として集められた文書類の段階で、既に雑多な表記になっていた可能性があり、この不統一感は記紀の執筆者だけの責任ともいえない。

《記》本文では仮名書きされる歌の中で、aは志摩、bは志麻、といった書き分けが為されているので、aとbは別個のシマとして認識され使われていたのは間違いない。
摩と麻に於ける発音の違いも有ったと思われるが正確には分からない。(摩には馬を使うことがあるので、ンマの音だったか)上代の人にとって摩麻の使い分けは、少なくともその時の気分で適当に当てていたものではない。

ただ、《神武記》の歌に「多禮袁志摩加牟」と「延袁斯麻加牟」の表記があり、「シ・マカム」のマの音に摩と麻を使っている。

しかし、これは《記》全体から見ると例外であり、誤写の可能性も有り得る。誤写ではないとすれば、この二つのシマカムは別の言葉ということになるが、使われ方を見る限りそれも考えづらい。(※ただし、ここでのシマは嶋とは無関係な語である)

◇「カツマ」から「クニ」と「シマ」へ
 日本で漢字が使われ始めた頃、国や嶋はそれぞれ一字でカシマ(またカツマ)であった。ところが、時と共にカシマの第一音・カが多様な音に移って使われ始めると、その音を示す文字が必要となってきた。

例えば、カシマがクシマに変わった音には久嶋、コシマには児嶋、テシマには手嶋、ヘシマには幣嶋、タシマには田嶋、などの文字が充てられ流通するようになる。

結果として嶋の字はシマの音を担当するようになる。その煽りは本元のカシマにも及び、カを示す文字を乗せなければならなくなり、加嶋や香嶋などの表記が生まれる。

更に大きかったのは、カの音が膨張する事です。カンシマ、カムシマ、カニシマ、カモシマ、クミシマ、クナシマ、クニシマなど、地域によって、部族によって、また時代によって色々な音で発音されていきました。

これらを略して、カニ、クナ、クニ、などという音も使っていた中で、徐々に統一化が進んでいったと思われます。
本来はカシマの音に充てられていた嶋や国の字でしたが、時代が進むにつれて、aには嶋の字を用いて、カシマの下の二音のみで「シマ」といい、bには国の字を充てて、社会標準になりつつあったクニシマの上の二音「クニ」が使われるようになる。

これにより文字・音ともに、シマ=嶋、クニ=国の形で、はっきりとした使い分けが為されるに至ったという事です。

一人の王が領地として統治する地域を「シマ」といい、それは同時に「クニ」であったことを考えれば、この時点では嶋と国の字は共に領地(テリトリー)の意として扱われていました。

その後、シマは(水に囲まれた)土地、クニは地域社会、という概念に発展してゆく事になります。そして、どちらも元を辿ればカツマの音に行き着きます。シマとクニとは、そんな言葉です。

[006]に、続く。