「ツツカ」平穏

【ツツ考】[003]___
⒈ 時間 「ツツカ」

◇「順調」
 ツツには現世の意もある。「夢かウツツ(現)か」のウツツです。ツツキとは時(キ)の経過、ツツカとは日々(カカ)の移ろいの意味であり、人が感知しないエネルギーにより、時間が、日が、常に同じペースで淡々と流れている現実世界をいう。

但し、瞬間、一瞬、単発的、などを表す場合にはツが一つになって、ツキ、ツカ、といった語になる。ツキ・ツキ(時々)、ツカ・ヌマ(束の間)、などの語で使われる。継続は「ツツ」、停止・切り取りは「ツ」、という事です。

 

*昔の便り文〔ふみ〕に記す常套句「つつがなしや」に、冗談で「恙〔つつが〕無しや」の字を充てた人がいた。受け取った人も笑って済ませたでしょう。(※恙〔ツツガ〕、ダニの一種。原意はツツ=這う、カ= 虫)

ところが後世になって、古文書の中にこの表記を見た人が字義を真に受けてしまい、「恙の被害は有りませんか」の意と解釈してしまう。真面目な人(シャレが通じない学者肌など)が陥りやすい反応である。

「つつが・なし」は「平穏為し」の意味で使われる言葉であり、ここに虫の入り込む余地は無い。現代の言い方にすると「日々穏やかに、お過ごしですか」といったところだ。「為し」はナツ→ナシ、「無し」はナキ→ナシ、と転じた音であり元の音が違います。

「ツツキ」次

【ツツ考】[002]___
⒈ 時間

「ツツキ」
○「(ツキ)」
 時間の推移や経過などが順序立てて進行する、また物事〔ものごと〕が繰り返し継続されることをいいます。元の音はツツキであり、縮んでツキになる。後にキが濁音になった。

古事記に於ける「次」の字の扱いには大と小があり、大の「」は棚字の位置に、小の「」は平句の頭に置かれる。幾つかの例を挙げてみます。

伊邪那岐の禊に因って神が成る一場面。各道具類は大の「」、その内に成る神は小の「」として扱います。
  於投棄左御手之手纒 所成神
   名 奧疎神
    奧津那藝佐毘古神

  於投棄左御手之手纒 所成神
   名 奧疎神
    奧津那藝佐毘古神
    奧津甲斐辨羅神

  於投棄右御手之手纒 所成神
   名 邊疎神
    邊津那藝佐毘古神
    邊津甲斐辨羅神
    奧津甲斐辨羅神

  於投棄右御手之手纒 所成神
   名 邊疎神
    邊津那藝佐毘古神
    邊津甲斐辨羅神


○大雀(仁徳)の子。皇子として記す時点では、小の「次」(平句の行頭)を使うが、大王として表す時には、大の「次」であり棚に置かれる。

   石之日賣命大后
 生御子 大江之伊邪本和氣命
    墨江之中津王
    蝮之水齒別命
    男淺津間若子宿禰

 故 伊邪本和氣命者 治天下也   (履中)
  蝮之水齒別命 亦治天下    (反正)
  男淺津間若子宿禰命 亦治天下也(允恭)

◇太子を日嗣皇子(ヒツギのミコ)というが、ヒツギとはアキツキ(王)のツツギ(継承者)
アキ・ツツギ・ツキ→ヒ・ツツギ・ツキ(日ツ継ぎ・のコ)の音になったものである。

また、書紀に「吾子孫八十連属…」とあるヤソツヅキは自分の末裔・子々孫々(続く限り)を表す。
吾・子孫〈私の・末裔〉、八十・連属〈ヤソ(多く)・ツヅキ(続く)〉
(※ヤソは、アツ→ィアス→ヤソ、と転じた音に八十の字を充てる)

 

ここにツツキ(次)、ツツギ(継ぎ)、ツヅキ(続き)、という僅かな音違(おとたがえ)による使い分けがある。

 

「ツツ」という音

【ツツ考】[001]___

◇「ツツの役割

 かつて「ツツ」という語が有りました。日本語に、と言うより人類語と言った方が良いかも知れません。ツツという語は、次の様な概念を表す時に使われる声音です。

  1. 時間(経過、順次)
  2. 空間(広がり、面。また、集まり。)
  3. 液体の流れ(潮、川、水、血)
  4. 動作(移動、行為)
  5. 自然現象(動くもの全般)
  6. エネルギー

ツツは「動き」を表わす音ですが、この語自体は動詞ではなく、名詞の前後に付いて「時・広・動」を表すもの全般に使う語でした。

▽ちなみに。
ツの音が一つで、ツ・メリ「止め」、
ツが二つで、ツツ・メリ「進め」になります。
停止がツ、動作がツツ、これは人類語です。

 

 

◇「ツツの音転

 言葉の役割は何らかの意思を伝えるためにあります。また、複数の対象物を呼び分けるため、あるいは特定の対象物を示すため、基音に少しの変化を加えることから、音の多様化が促進されていったと思われます。

同じモノでも、用途や役割などに僅かな違いが生じてくると言語音にもそれが反映され、音はますます複雑なものとなっていきます。
ツツのように、使われる場面が多岐に渡る語は尚更であり、枝分かれを重ねて音の種類が広がってゆく。

文字が使われるようになると、ツツ及びその転化音にも字が充て嵌められ使われる。或るものは訓書き(表意文字)、或るものは音書き(表音文字)で音訓入り混じって表わされるが、この書き分けに付いて明確な決まり事もないので、少々混乱するが見ておく必要があります。

 

*まず「ツ」という音は、次の様に転化する。

  • ツ→ヅ→ヌ→ル。
  • ツ→フ→ブ→ム、また、ツ→フ→ウ。
  • タ行音の他の音。
  • サ行音。

*いくつか例を挙げると、意味を伴った文字として、タツ(立)、ツフ(飛)、スス(進)、セセ(瀬々)、ルル(流々)、テル(照)、ツツ(筒、突)、などがあります。

*ツツがルル→ルウ→リュウ、の音にもなる。リュウ(龍)もまたツツから出来てる語なのです。

*また、ツツ・キ(突き)、タタ・キ(叩き)、ササ・リ(刺さり)、トオ・リ(通り)、といった語にもなります。

*「ツツキ」触れる。さわる。モノとモノが接触する。ツツキ→タッチ(touch)。
「ソタタキ」優しく触れること。「ソ」は、軽く、そっと、の意。ソツト→ソフト(soft)。

*意味は伴わずツツ(またその転化音)に仮名として充てた字としては、チ(千)、テン(天)、ダン(段、断)、といったものがある。

勿論これはほんの一部である。

 

 

◇「タチとタツ

ツツの後ろに助詞が付くが「ツツ・キ」と「ツツ・ツ」の二種類がある。
万葉集》(巻一)の歌の中にある一節。
烟立竜(ケブリ・タチ・タツ)、加万目立多都(カマメ・タチ・タツ)。

ツツ・キ→タタチ→タチ(立)。上方向
ツツ・ツ→タタツタツ(竜)。移動、動作

タチは上方向、タツは移動、この状態をいい、煙が空に昇っていくさま、カモメが飛行するさまを、タチ・タツ、いう。

動詞の末音がウ列音なのは、ツがウ列音であることに依る。

さらにツツ・カという表現もありますが、カは日や面の意味を持ちます。
・日(カ)の経過、巡り、など。
・平面空間(カ)の広がり、など。

 

*「リュウという音」
音読みがリュウで訓読みがタツやタチの字には、隆、立、龍(竜)などあるが、これらの音(リュウ、タチ、タツ)は、元の音がツツだったことを示している。

*「通り」は、ツツ・キのツツがツウ→トオ、キ→リと変わり、ツツキ→トオリ(通り)、のちの時代になってトオルと動詞の姿ななってゆく。
古い時代では、トオリ・ケル、ススミ・ケリ、などの様に後ろにケルやケリを付けて動詞系として使っていた。色々な品詞の中で、動詞が生まれるのは意外に遅かったのではないでしょうか。

23「外国のアキツ・カツマ」

地名国名[060]___別言語の中に「音や意味に共通するものがある」というだけで飛びつき、それらの単語を結び付けようとするのは危険です。偶然の可能性も大いにあります。それを踏まえた上での一仮説です。


23、外国のアキツ・カツマ

「北米の地名」
○[オクラホマ(Oklahoma)]
 アキツ・ホツマ→アクラ・ ホムマ→オクラホマ
オクラホマとは、先住民(チョクトー族)の言葉という。「赤い人達の土地」の意か、とも云われているが、正確なところは分からない。

元のスペルはOklahomma、とmを二つ重ねる。従ってオクラホムマというのが正しい発音だったのでしょう。古和語にアキツ・ホツマというのが有ります。アキツがオクラに、ホツマがホムマに移ったか。これらの転化は日本でも起こることです。

オクラホマの地元の人は、自分たちをオッキーナと呼ぶ。オキナワと似ていますね。偶然でしょうか? 元の音が共にアキツだったとすれば、なんら不思議ではありません。

また、ホムマと英語のホーム(Home)、この音の類似も無縁とは思えない。ホツマ(素晴らしい郷土)の音が東廻りで進み、ベーリング海を渡ってホムマの音となる。一方は、西廻りで移動して、ホームと発音され大西洋を渡る。

この二つの言葉が数万年の時を経て、北アメリカ大陸で再会した、という事かも知れません。出発点はアフリカか中東辺りか。

 

○[アイダホ(Idaho)]
 アキツ・カツマ→アイヅ・ホツマ→アイダ・ホ。
◇先住民の言葉で「宝石のように美しい山」の意に由来するとされるが、こちらも本当のところは分っていない。

この語源説にある「美しい山」が正しいとすれば、アイダホのホはホツマではなく、ホダカ(カタケ→ホタケ→ホダカ)、またはカヤマ→ホヤマ、といった山の意味を持った語だろうか。

しかし、カタケ(岳)やカヤマ(山)ではなく、始めに示したカツマ(国)のほか、カツラ(村)、カツカ(平地)などの可能性もあります。

 

○[アイオワ(Iowa)]
 アキツ・カ→アイユ・ファ→アイオ・ウァ。
◇先住民・スー族の部族語に由来してるとされるが、「美しい土地」または「眠そうな人」など幾つかの説が有り、似たような音が多く原意の特定は難しいようです。

音から見るとアイダホとアイオワは地域差また部族語の違いによるもので、本来の意味は同じではないだろうか。共にアキツ・カが元にありそうだ。

 

▽ちなみに。アキツはアイルの音にも転じます。ユーラシア大陸の東の端の沖にアキツ・カシマ(秋津・島)があり、西の端の沖にアイル・ランドがある。この位置関係は、さすがに面白い偶然です。

そうなると、ランド(land/英語)という音が気になります。国土、土地、といった意味ですが、この音の始まりがどの様な形だったのか、英語圏の人にもよく分からないようです。

外の者が勝手な事は言えないですが、ただ、その扱い方を見ると、或いはカツカ→クァムド→アンド、という音転が考えられます。ルアンダという国もありますよね。

 

○「エチオピア(Ethiopia)」
 アキツ・カ→アチュ・キァ
      →エチォ・ヒァ→エチオピア

旧国名はアビシニアというらしいが、この名もまたアキツがアビシに、カがキァ→ニァ、と移った音と思われます。

首都のアジスアベバのアジスは、アキツ→アヂスと音転したものでしょう。ただし、こちらのアキツは水の意かも知れない。ゥアキツは、→ウアチツ→オアシス(oasis)の音になる。

水が湧いていたから人が集まる地になり、大きな集落が出来はじめた、という歴史だろうか。

紅海を東に渡ったイエメンにはアデンという町がある。今は乾燥地帯だが、数千年前までは其処此処で水が湧く緑に覆われた土地だったという。

このアデンという音もアキツ→アヂヌ→アデンの転音が可能であり、さらにエデンの音にも繋がる。エデンとは水が豊富で多くの果実が成る緑地帯(楽園)をいったのかも知れない。


○「スカンジナビア(Scandinavia)」
 ツ・アキツ・カ→ツ・アンキナ・キァ
   →ツ・クアンチナ・ヒァ→ス・カンヂナ・ビァ

 アの音は、→アン→クアン→カン。キツは、→キヌ→チヌ→ヂナ。カは、キァ→ヒァ→ビァ。この様にそれぞれ転じる。

スカンジナビアのスが、西方と寒冷地のどちらの意味を持つのかは、この地をスカンジナビアと呼び始めたのが、どの地域の人だったかによる。

見る位置によっては、西方面・北方面、どちらとも云える。いずれにしろ、この地名もまたアキツ・カの音で解釈が可能です。

 

◇地名の元〔ハジメ〕は、その場所の環境や形状を云ったものです。その後、音を転化させながら固有の名へと移ってゆく。そんな音から地名の始まりを辿〔たど〕るという方法で推察してみました。

ここでは、取り上げなかった名のほうが圧倒的に多いですが、見渡せば、どうやら…世界はアキツで満ちている…みたいです。

 

「地名国名」については、本稿でひとまず予定終着と致します。有り難う御座いました。

22-2「佐野・志麻」

地名国名[059]___

22、地形の重ね名〈2/2〉

○「佐能志麻
 大雀命(仁徳天皇)が淡路島にて歌を詠む。《記》にある歌を詞書と共に「飾り書き」にしたものが次の文型である。掛け軸にでもして飾ったのか、美しく整った構図になっています。

歌にある四つのシマの表字には「志麻」と「志摩」の書き分けが為されています。
※阿遅摩は、アキ・マがアヂマ(アチマ)と転じた音であり、シマではない。

 於是 天皇戀 其黒日賣
    欺大后 曰欲見淡道嶋而
    幸行之時 坐淡道嶋遙望
 歌曰 淤志弖流夜 那爾波能佐岐用
    伊傳多知弖 和賀久邇美禮婆
    阿波志摩 淤能碁呂志摩
    阿遲摩 佐能志麻母美由
    佐氣都 志摩美由

 

  …〈詞書、略〉…
 歌に曰〔マヲ〕さく
    おしてるや 難波の崎よ
    出で発ちて 我が国見れば
    アハ志摩、オノゴロ志摩
    アヂ間、サノ志麻も見ゆ
    離〔サ〕けつ 志摩見ゆ

 

那爾波能佐岐]アツ・カサキ。大崎。ヌアム・カサキ→ナニ・ハのサキ、と転じる。現・上町台地
(※言葉のこと/18-4、18-5、参照)

佐能志麻]サノ・シマ。王が住む地である。カサノ・カシマからカの音を省いた重連語。佐野がある郷の意であり、自身が住む高津宮がある難波崎を云ったと思われます。淡路島からもはっきり見える距離にある。

 カサノ(佐野)が有るカシマ(国)でサノ・シマ。全国にある佐野という地名は、かつて「王城の地」だったのでしょう。

◇一般的には、アヂマとサノシマを一つに繋げて「アヂマサ(檳榔)のシマ」とするが、どうやらその解釈は再考が要るようです。

佐氣都・志摩]サケツ・シマ。このサケツの語には四つの意味が掛けてある。

  • 小豆島。元は淡路島の妻として寄り添っていたが、今は切り裂かれてしまった島。裂〔サ〕ケツ・シマ。
  • 家島諸島。小さい離れ小島が集まる。離〔サ〕ケツ・シマ。
  • 黒日賣。ツキツミ・ツメ(スケの妻)だが、今は実家の吉備にいて別居になってしまっているスケツ・ツマ。別〔サ〕ケツ・ツマ。
  • 西の地。カツマの頭にツの音が付き、ツ・カツマと表現します。これが、→ス・カシマ→サ・ケシマ、と転じた音になる。竹島〔タケシマ〕、高島〔タカシマ〕なども同様。

 

◇大雀命は冗談が好きな人だったようで、この歌も一見すると国見の歌のように思わせて詠まれてはいますが、実のところは洒落っ気の多い大雀の戯歌〔ザレウタ〕であるのは、間違いなさそうです。

即興で思い付いたのか前日から考えていたのかは定かではないが、淡路島に在って、見晴らしの良い場所に立ち、厳粛な面持ちで詠い始める。

「おしてるや 〜、」島々を順次見渡しながら朗々と、そして「… アヂマ、サノシマも見ゆ〜。」と歌った後、少し間を置いて西の方に視線をやり、まるで初めて気付いたかのように「あれぇ? サケツ島も見えるなぁ…」とトボケて見せるのです。

大王が国見の歌を詠い出したので、初めのうちは身を正し畏まって聞いていた家来達だが、ここでは肩を震わせながら笑いを堪〔コラ〕えている。

『いやいや、大王さん、そこが、今日出掛けて来た目的地でしょうよ。』と、遂に大爆笑。
そう、大雀の気持ちも視線も、吉備にしか向かっていなかったのですから。

大いにウケているのを見て悦に入ってる大雀の、如何にも楽しげな姿を思い浮かべてしまう歌です。

    乃自其嶋傳而 幸行吉備國
  爾 黑日賣 令大坐
    其國之山方地 而獻大御飯

季節は春、日和良く、薫風爽やかな日の事でした。

 

22-1「曽根崎」「島崎」

地名国名[058]___地名には二つの地形の呼び名が合わさって出来たのが有ります。カソネとカサキでソネサキ、カシマとカサキでシマサキ、といった具合です。

 

22、地形の重ね名〈1/2〉

「曽根崎」
 カツネ・カツキ→カソネ・カサキ
         → ソネ・ サキ(曽根・崎)

 難波崎の北にある低地で、かつて存在した蜆川を渡った辺りをカソネ(水気の多い土)といいました。同時にカサキ(水に迫り出した地)でもあります。この二つの呼び名が重連して、ソネ・サキが地名となりました。

今は御堂筋の北部に位置しますが、15〜16世紀の頃まで御堂筋の辺りは未だ海だったので、此の地も存在しません。

現・扇町や天満地域の平地は上代から在りました。大雀命(仁徳天皇)の時代に出来た堀江の北側です。平地は時と共に堆積面が拡張させていきます。その中で大阪湾に面した側にあるソネサキの地も、これに合わせて西に移動していく事になります。

ソネサキの呼び名自体は古くからあったと思われますが、その場所は現在とは違っていたでしょう。何れにしろ、そこは常に利用価値のない葦原が広がるラグーンだったようです。

時代は移り、近世には遊興地として賑わい始めます。それによりソネサキという名も地名として定着します。

これ以降も堆積面は広がり続けますが、ソネサキの名が移動する事は最早ありませんでした。

あの痩せた土地が、今では大都会の真ん中になり、高級な夜の街となって富を生む地と変貌しています。

 

「島崎」
 カシマ・カサキ→シマ・サキ。カの音が共に省略される。ここのシマは、或る地域のシマ(志麻=国)であり、水に囲まれたシマ(志摩)ではありません。

斯痲能佐岐邪岐〔シマのサキザキ〕とは、クニ(カシマ)の方々〔ほうぼう〕にある水に面した土地(カサキ)の意になる。

*「カシマのサキ、サキ」
八千矛神大国主)に対して、その妻須勢理毘賣の詠む歌の一節。
 那許曽波 遠邇伊麻世婆
 宇知微流 斯麻能佐岐邪岐
 加岐微流 伊蘇能佐岐淤知受
 和加久佐能 都麻母多勢良米
 …略…

 汝こそは、男にいませば
 うちみる 島の埼々
 かきみる 磯の先おちず
 若草の 妻持たせらめ

◇カシマ(国)のあちこちに有るカサキ(笠木、笠置、桑崎などと表記)の数だけ妻がいる。正妻の須勢理毘賣はその事を受け入れつつ、それでもやっぱり、不安と寂しさ訴えます。

「港ミナトに・・・、」という所でしょうか。八千矛神は各地に妻がいた。これについて現代の物指し(価値基準)を当てて裁こうとする人は、歴史に首を突っ込まない方がいいでしょう。そういう人に歴史は無理です。

21「曽根」「長髄」

地名国名[057]___
 曽根の地名は全国に存在しますが、多くの場合が水に面した土地、また、かつて水に面していた地域です。ソネには埇や埣などの字も使われ、石の多い土地とも云われます。

21、カツネ

◇「曽根
 きれいな砂浜ではない石や土の岸辺。カソネ。またコソネ、ヲソネ、ソネ、などとも発音し、小曽根、曽根、といった地名になる。

水辺の地(陸の端)はカツキというのが基本音なので、カソニ、またソニが元の音ではないか。ニの音は水分の意もあります。

宇比地邇・須比智邇〔ウヒヂニスヒヂニ〕が水底の土の神なら、湿地帯をいうとも思われます。何れにしろ、足を踏み入れにくい環境の水辺をいったようです。

キの音から転じた「ニ」の音ですが、しばしば「ネ」に変わる。ニィ(兄)とネィ(姉)、ヒコニ(比古尼)とヒコネ(比古根)などの音になる。

 

八千矛神がヤマトに行く身支度をする時の、歌の一節に「幣都那美 曽邇奴岐宇弖…」〈辺つ波、其に脱きうて…〉というのがある。

ここでの「曽邇〔ソニ〕」は「そこらに」の意だが、この語に対して枕詞「辺つ波」を置いているのは、波打ち際を表わすソニ(水辺の土)と同音であるところから、掛けているのではないか。

 

「ナガスネ」
 伊波禮毘古(神武)が難波にやって来て、或る場所から上陸しようとしたが、登美能那賀須泥毘古〔トミノ ナガスネビコ〕に撃退される。この人物は海岸線を警備する者か、或いはこの海辺地域を領地にする者か。

那賀須泥毘古とは個人の名ではなく、ヌカツニ・ツキ→ナガスネ・ビコと転じた音でしょう。後に中曽根、仲宗根、長曽根などの名になります。

《書紀》に「長髄、是邑之本號焉。因亦以為人名」〈長髄、是は邑の名が元である。因って、また人の名と為す〉としているが、ナガスネ邑では上代以前の村の呼称音として考えてづらい。

ナガスネは地形の名ではあるが、この時代にあっては村(邑)の名でもなく人名としての固有名詞でもないでしょう。

◇「小曽根〔ヲゾネ 〕」豊中市の地名。今では内陸だが、かつてはこの辺りまで海岸線が入り込んでいた。ここから南を望むと、海を隔てて曽根崎(難波崎の先端にある平地、西側)が見える。