「ツツカ」船場

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【ツツ考】[006]___
⒉ 空間「ツツカ」

◇「船場
 十六世紀後半の大坂(難波)では、都市開発の一環として東横堀、西横堀などをはじめ多くの堀が作られました。これらを掘って出る土、また川底を浚って出る土砂、この廃土は周辺にある低地や湿地帯の埋め立てに使ったと思われます。

このように土を広く一面に敷き詰めた土地、また盛った場所をツツカやツツマという。ツツが→センと転じ、カやマが→バと移り、センバになる。

広げるのもツツなら集めるのもツツです。土を一ヶ所に集め、積み上げて盛り地としたものはツツキ山(築山)、ツツカ山、ツツマ山、またセンバ山とも呼ぶ。肥後熊本のセンバ山も、浚い土による盛土で出来た場所の呼称であり、ツツカやツツマから転じた音と考えられます。

近世、大坂の海近くにツツキ山があり、転じてツツホ山といいました。これに当世の元号を充てて天保山〔テンポウやま〕と云うのですが、山にしては余りにも低く、当時の町衆はこれをデンボ山〔ヤマ〕と呼んで面白がった。

「広がり」と「集まり」という相反した状態を表わす語として、この両方に使われています。逆の意味を持つ言葉だけど元は同じ語(音)というのは、日本語の単語によくある事てす。

 

大坂城の西に広がる商都船場〔センバ〕の地名も、こうした敷き土に由来するものと思われます。だが、センバという呼称が初めて生まれたのは、どうもこの時代ではないようです。横堀が掘られる以前から、既にセンバは存在しました。

 

▽ちなみに。
 千羽鶴のセンバも元の音はツツカであり、空一面(ツツカ)、或いは池一面を覆う鶴の群れ「ツツカ・タヅ」をいいます。対象が鳥なので、ツツカから転じたセンバの音に千羽の字が充てられた。よって、1000羽の鶴という意味では無い。

だからと言って、千個の折り鶴を作って贈る“千羽鶴ごっこ”を、決して否定するものでは有りません。