16-4「八尋殿」「社殿」

地名国名[038]
16、アキラツノ〈4/5〉

◇「アキラトノ」神聖な建物
 キツノという語が元〔ハジメ〕にあり、これがキラツノ、またはアキツノなど、音が膨らむ。更にアキラトノとなる。
 キツノ→キラツノ→アキラツノ。

 

○「八尋殿」〔ヤヒロトノ〕

 アがヤ(ィア)と発音され、キラツノがヒロトノと転じ、ヤヒロトノという言葉になる。この音に八尋殿なる字を用いる。
 アキラツノ→ィアヒラツノ→ヤヒロト
                八  尋   殿

人が両手を広げた長さを一尋〔ヒトヒロ〕という。だが、ここの八尋がその八倍の長さという訳では有りません。

「ア」の音は、大きい、立派、優れた、などの意味で使われますが、これが「ヤ」と発音され、この音に八の字を充てる。よって、単純に八の字義(数の8)を受け入れる必要はない。

記紀で使われる漢数字は、大半が音を表わすための文字、つまり仮名字として使われている。
尤も、その語は量的なモノ(距離、面積、人数など)の意を含んではいます。

《記》では、二神(那岐・那美)による国生み神生みの時「…見立八尋殿」〈ヤヒロトノに見立て〉と書く。また邇邇芸命の妻(阿多都比賣)の出産時「即作無戸八尋殿…」〈すなわち、戸無しのヤヒロトノを作り…〉とある。
《書紀》では、一書曰、オノゴロシマに二神降りて「化作八尋之殿」〈ヤヒロのトノ、化作り〉。
一書曰、邇邇芸命、吾田津姫と会った時「其於秀起浪穂之上 起八尋殿 織経少女者 是誰之子女耶」〈秀起〔サキタツ〕る浪穂の上に、ヤヒロトノを起〔タテ〕て織経る少女〔ヲトメ〕、これ誰の子女や〉。

*ここに並ぶ八尋殿には、或る種の共通点が見て取れます。

 

○「社殿」〔ヤシロトノ〕

アキラツノのキラツノが、ここではシロトノと転じて、ィアシロトノという語になる。この音に社殿の字が充てられる。
 アキラツノ→ィアシラツノ→ヤシロトノ
               社 殿

一般的に神社と呼ばれる施設ですが、ヤシロトノという語が先ずあって、其れに神の字が乗ってきて、神・社殿の表記で使われる様になります。

いつしか、その施設全体を神社、個々の建物を社殿という名称で、使い分ける様になっていきますが、本当は違う。(言っても仕方がないけれど・・・)

そもそも、上代に於ける「神」の字の扱いは後の時代とは違う、という事を知っておく必要があります。

仏教が入って来て、仏〔ホトケ〕という外来宗教の信仰物と同時に、神に対する新〔アラタ〕な概念も入って来たのではないかと考えられます。

 

◇太古の日本人は、死と生に関わる「清浄な建造物空間」を、アキラツノという名称で呼んだ。

その施設のうち、新〔アラタ〕な命が生まれる屋をヤヒロトノ(八尋殿)といい、命を終えた精霊を鎮める舎をヤシロトノ(社殿)と、呼び分けていたようです。