「ツツ・マキ」芝居

【ツツ考】[021]___

◇「芝居

 ツツは「続ける」「連続」、マキ(マイ)は「回転の状」また「行為」。この二つの語を合わせた「ツツ・マキ」という言葉は、一定の場所で「動き続ける・行為」の状〔サマ〕をいいます。
ツツは、→スス→シシと移り、マキは、→マイ→バイと転じて「シシバイ」という音になりました。

◎ツツ・マキ→シシバイ→シバイ。

後年、このシバイの音に「芝居」という文字を用いますが、もちろん全くの充て字であり、字義によって出来た言葉ではありません。

 

*芝居〔シバイ〕の語源について、辞書類は一様に「庶民が芝に居て(座って)演物〔だしもの〕を観てたから」と説明します。

⚫︎猿楽・曲舞・田楽などで、桟敷席と舞台との間の芝生に設けた庶民の見物席。《広辞苑

⚫︎猿楽の興行の際、舞台と貴人の席との間の芝生に庶民の見物席が設けられていたことに由来する。《大辞林

⚫︎猿楽等の芸能を寺社の境内で行った際、観客は芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して芝居と呼んだ。《Wikipedia

 これらの辞書の内容は「芝居」という漢字の意味をせっせと説明し、これがシバイの語源であるとしています。

 

*或る言葉の意味を探ろうとする時、それに使われる漢字の字義に答えを求め、殆んど無思考状態で反射的に跳び付いてしてしまう典型です。(音が先なんですけど…。)

 

◇古い時代、シバイとは娯楽演劇の事ではなく、五穀豊穣や子孫繁栄を願って、また悪霊退散などを行う “見立て踊り” というものでした。

興行といったものでは無く、集落内で行われる祭事の催し物の一つとしてです。それは猿楽などが生まれる遥か昔からの事だったでしょう。

更に云うと、シバイとは演者の行為(演技)そのものを指しますよね。昔は違ったのでしょうか? そんな事は有りません。これは昔も今も変わらないでしょう。では何故そこに、客席が出てくるのでしょうか。

「シバイ観る」ではなく「シバイ観る」が正しい表現とすならば、花見もシバイと呼んでいい? 打ち上げ花火もシバイになりますか? 昔は皆、芝に座って見てましたよね。

客席由来が、一つの説として扱われるのであれば別段問題は有りません。しかし、全て(確認した訳ではありませんが)の辞書で “動かぬ定説” と言わんばかりの統一見解は、如何なものでしょうか。

 

*自然界を司る「目には見えない大きな力(カツキ)」を、人々はカムヂ、またカミと呼びました。実際には見えないけれど、視覚化させるべく、衣装を纏い面を着けた非現実的なモノを作ります。

これをカミと見立て、時には荘厳に、時には滑稽に、福を招き邪気を祓う、そんな願いを持って動作を繰り返します。このカミ(演者)の振る舞い行動を、ツツ・マキ、つまりシバイと呼びます。

 

 

◇「接頭辞

 日本語の表現方法の一つとして、状態や行動を表わす語を一音で表わし、これを別の単語の頭に置き全体として一単語を成す、といった形があります。

例えば、「居る」という語を「イ」の一音とし、スワリ・イる→イ・スワリ(居座り)という言葉になります。他にも、イ・ナラビ(居並び)、イ・ノコリ(居残り)など同様の表現は多くあります。

また、「見る」は「ミ」の音で、ミ・スエル(見据える)、ミ・カエシ(見返し)、ミ・アヤマリ(見誤り)など。

 

「作業」を「シ」の一音とし、コトを・する→シ・コト(仕事)、ナオシを・する→シ・ナオシ(仕直し)、報復を・する→シ・カエシ(仕返し)、使い終えた巻物は綺麗に巻き戻しておく→シ・マキ(終〔シマ〕い)など。

この一つに、マイを・する→シ・マイ(芝居〔しばい〕」という語もあります。 ※このマイ(マキ)は舞ではなく「行為」全般を指す。

ここで使う「シ」の音は勿論、ツツ→シシ→シと転じたものです。原意は行為をいう「シシ」であり、原音は「動き」や「連続」などを表わす音「ツツ」です。

 

 

◇「獅子舞」「龍舞

 ツツ・マキ→シシ・マイ(獅子舞)と転じる。これもまた演舞の一つです。この充て字表記から、正月などに獅子頭〔しし・かしら〕を被った吉祥舞踊の形で行われるようになったのでしょう。

龍舞もまたツツ・マイです。龍の音読みリュウも、訓読みタツも、ツツが原音であり是の音から始まった経緯は獅子舞と同じと見ていい。

*中国では、獅子舞を舞獅〔ウーシー〕、龍舞を舞龍〔ウーロン〕と書きます。日本とは漢字の並びが逆です。ツツ・マイが原音とした場合、中国の書き方(漢族仕様)は成り立たちません。

獅子舞も、龍舞も、大陸の国が発祥とされます。しかし、それは漢民族の風習では無く、彼の地の「先住民」の文化であり、彼らの使っていた言葉(支那語)では、舞獅ではなく獅舞であり、舞龍ではなく龍舞であったでしょう。

これは、古い支那語が後〔のち〕の中国語ではない事を意味します。

 

 

◇「相撲
 ツツ・マキ→スス・マイ→スマイ(スマウ)と転じた語と思われます。ここのマイは音便によってモウとなる。「舞〔マ〕いて」がモウて、「まいでる(詣る)」がモウデる、に変わるのと同じです。

スモウという語音について、一般的な説明では「争う」の古語がスモウ(スマウ)だったとします。ただ、スモウの音に争の字を充てる事はあっても、争の字にスモウの音は有りません。

或る一定の場所で、武器を持たない二人の男が動き回って闘うこと、これをツツ・マイと云ったのではないでしょうか。
また、チョチョマイ(狼狽〔うろた〕えてバタバタすること)といった言葉も、音としては同源(ツツ→ ツォツォ →チォチォ)に違いありません。

 

*「竜巻
 風が一つの場所で激しく回り、天まで伸びる竜巻は、アツ・ツツ・マキのツツがタツになって、ウズ・タツ・マキとなった、というのが元の音でしょう。
※このウズ(正しくはウヅ)は渦ではなくアツ=大の意。宇受柱(大柱)の宇受〔ウジュ〕、宇豆毘古(大毘古)の宇豆、などと同じ。

アツ・ツツ・マキが後に短縮され、ウヅ・マキになり、さらにウヅ(渦=回転運動、螺旋形状)という意味の言葉になったと思われます。

 

*全て「ツツ」という言葉から成っており、この語の存在と、その意味を知らなければ、見えてこない言葉たちです。