地名国名[050]____
18、カサキ〈4/7〉
◇「ナム・ハサキ」其の1
ナニワ(難波、浪速、浪花、浪華)の地名由来は、実のところはっきりと分かっていない。
ただし、説は幾つかあります。
或る説:「大阪湾から入江に入る辺りの海は流れが速く、船の舵取りが難しかった。地元の人達は慣れていただろうが、外からやって来る者にとっては緊張する海だった。そこから難波や浪速と云われた。」
入江には浅瀬も多く船が乗り上げる事もあった。そんな環境から、船が安全に航行出来るよう水路に目印になる串〔クシ〕が立てられた。
串は時と共にしっかりとした杭に変わっていく。より目立たせる為、先端に✖️印の上部に横板を渡した形の物を付けた。十八世紀の頃には土台を持った水路標識になる。
大阪市の市章、澪標〔ミオツクシ〕はこの形をデザイン化したものである。
或る説:「大阪の西はチヌの海といい、チヌという魚がたくさん獲れたところから、其の名がついたのだろう。東には水深の浅い入江が広がり、魚介類が豊富な漁場であった。
そこから此の地を、魚〔ナ〕の庭〔ニワ〕、と云ったのがナニワになった。」
山の幸、海の幸、飲料水の確保、適度な平地、水運の利便性、あらゆる面で格好の居住環境である。とりわけ入江は、周囲の土地に暮らす人々の、日常の糧を得る場だったようだ。沖縄の那覇〔ナハ〕も同じ語源らしい。
*難波という文字、ナニワという音、それぞれの成り立ちを説明する人は、大体こんな内容の事を云います。
もっともらしい説明だし、偉い先生が言うのだからと、大半の人は何の疑いも無く、これで納得してしまっているようです。
◇「ナツ・カ」
現在、上町台地と呼ばれる土地は、かつて北に突き出た細長い半島であり、この半島全体をナツ・カサキと呼んだ。そんな地形がまだ有った時代ですから、縄文の時代から使っていた言葉でしょう。
始まりはアツ・カサキ(大・崎)です。アツ(ここでは大の意)に予唸音・ヌが乗り、ヌ・アツ(偉大)→ナブ→ナムと音が移ります。
カサキは水に迫り出した地、また突き出た地形「崎」や「岬」をいいます。カツキが原音であり、ツがサ行音に移った音。
カサキのカが「カン」と撥ねてカンサキになる。さらに転化して、→カナサキ、ハナサキ、またハヤサキなどになり、ナム・ハサキ(難・波崎)、ナムがナミになりナミ・ハナサキ(浪・花崎)、ナミ・ハヤサキ(浪・速崎)などの音(表記)も使われます。
その後、ナム・ハサキは「ナム・ハのサキ」、ナミ・ハナサキは「ナミ・ハナのサキ」などと「の」を入れて表現されることで、立花の例と同様に、ナム・ハ、ナミ・ハナ、ナミ・ハヤ、といった音、そして難波、浪花、浪速、の表記が土地の名となります。
全て音が先にあります。難波の「波」の字などはハ(ファ)の音に充てた表音文字(仮名)として使われています。
平仮名の「は」は、波の字の草書体をシンボライズしたものですが、難波の波は正に「は」として扱うべき文字なのです。よって、「“ 難波 ”とは何か」を探ろうと、字義を手繰る行為は全くの無意味。
◇「多様な、ナツ・カ」
カサキのカは拗音でクァと発音します。クの音が、ク→フ→ブ、またフ→ウと移ることでクァ(カ)がファ(ハ)、ブァ(バ)、ウァ(ワ)、になる。
それに依り、次の様な音に変転します。
ヌ・アツ・カサキ
ヌアブ・クァサキ→ナム・ファサキ (難 ・波 崎)
→ナン・ブァサキ →ナン・バサキ
→ナヌ・ウァサキ →ナニ・ワサキ
ナツ・カンサキ →ナム・カナサキ
→ナミ・ハナサキ (浪・花崎)
→ナミ・ハヤサキ (浪・速崎)
これら複数の音や表記の違いは時代差もあるでしょうが、畿内の地域差によるものが大きいと思われます。
この半島は此処に住む者だけでは無く、北摂や河内など周辺地域の人達にとっても要所であり、ランドマーク的な存在であったろう事は想像に難く有りません。
ナム・カサキの音を、彼らは自分たちが使う転化音(地域ことば)で表記した。この岬に住む人たちはナム・ハサキの音に難波崎の字を使ったと思われますが、その中でも北部と南部、あるいは東部(入江側)と西部(大阪湾側)でほんの少し音が違ったかも知れない。
例えば、難波の文字にはナニワとナンバの音がある。この違いなども、そんなところから生じたか。
*それにしても、一つの土地にこれ程までに幾つもの音や表記を持つ土地が他に有るでしょうか。これは此処(ナム・カサキ)が、広く畿内に暮らす人々にとって如何に重要で、且つ、愛着のある場所だったかを物語っています。
難しい波だったとか、浪が速いとか、そんなことでは無く、この地(岬)が「大・崎(アツ・カサキ)」だったという現実を見れば、答えは自ずと現れてくると思います。