神名人名・8-2「少毘古」

[013]
8、ツキツキ〈2/5〉

◇「ツキツキという語
 生命体を表わす太古語をキツキといい、よって人もまたキツキといいます。その中で集団のリーダーには大を意味する音・アをキツキの頭に付けてアキツキという。これに対しアキツキを補佐する者は、頭に小を意味する音・ツを付けツキツキと呼びます。

 

*「少名毘古那神
 スクナビコとはツキツキから転じた呼称です。ただ、音の移り方には次の二種類の形が考えられる。

⑴ ツ・キツキ・ツキ→スクナキ・ブコ→スクナ・ビコ。ツキツキがスクナキと転化してキが省略される。後ろのツキがビコの音になる。
   ツ・キツキ・ツキ
   ツ  キヌキ・ブキ
   ス  クナ  ビコ

⑵ ツ・キツキ→ツキン ツキ→スキヌ フキ→スクナビコ。キツキの先のキが撥ねてキンと発音され、キン→キヌ→クナと転じる。ツキが例によってビコになる。頭にス(ツからの転音)が乗り、ス・クナビコという呼称が出来あがる。
   ツ・キ ツキ
   ツ キンブキ
   ス クナビコ

表記は大己貴や大穴牟遲の大の字と、視覚的対比として小や少の字が充てらたのでしょう。スクナビコの中で上位者には末尾に、ニ(ナやネに転じる)の音が付けられる。


◇《記》では、天之羅摩船に乗ってやって来た少名毘古那を神産巣日神に問い合わせると「此者實我子也」〈此は実〔まこと〕に我が子ぞ〉とする。神産巣日神は一般の家来なので、ここでの少名毘古那も同等の立場である。

また、神産巣日神の言葉として「…與汝葦原色許男命、爲兄弟而…、」〈 汝(少名毘古)と葦原色許男は兄弟となして…、〉協力してクニ作りに励め、と云っている。

《書紀》(神世・八段)では、高皇産霊尊が「曰、吾所産兒…、其中一兒」〈 曰く、私には多くの児がいるが、確かに其の中の一人である〉としている。「高皇産霊の兒」が此処ではどんな位置付けなのか(実子か、配下の者か)がはっきりしない。

 

平安時代以降に役職名として用いられる大輔、大助、大佑、大介、などの輔助佑介といったスケの字はツキツキを意味する。この地位を現代で云えば次官や助役といった実務方の最高職、または或る部署の責任者、といったところだろう。

一方、大毘古(オホ・ビコ、またアツ・ビコ、ウヅ・ビコ)もまた天皇を補佐する者の筆頭であり、ツキツキ・ツキ・ニ(スクナ・ビコ・ナ)と云える。

◯大毘古と小毘古(アツ・ツキ:スクナビコ)=筆頭家来と一般家来の関係。

◯また、大穴牟遲と少名毘古那(アキツキ:ツキツキ・ナ)=王と筆頭家来の関係。

この二通りのスクナビコがあったのが、時を経るうち混在してしまったとも考えられます。

 

◇オホキナムヂとスクナビコナは、アキツキ(主人)とツキツキ・ニ(筆頭家来)の関係でセットとして登場し、次のような様々な表記がなされます。

古事記大国主神:少名毘古那神。大穴牟遲神:與少名毘古那神。
《書紀》大己貴命:與少彦名命
万葉集》大汝:小彦名。大穴道:少御神。
摂津国風土記》大汝命:与小比古尼命。
伊予国風土記》大穴持命:宿奈毘古那命。など。

 

▽ちなみに。
大国主はオホ・キナヌシ、大穴牟遲はオホキ・ナムヂという。この二つでは「大」の扱いが異なり、前者は「オホ」、後者は「オホキ」といいます。

この違いは恐らく、部族の違いだと思われます。ただし、元の音がア・キツキというのは同じでしょう。

 

[015]に、つづく。