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6、アキツキ 〈1/3〉
① 接頭語「ア」について。
アは大の意を持つ接頭語としてよく使われますが、さらに強めて云う場合は一拍音にするべく膨張し、アハ、アツ、アン、アム、アラ、アヤ、などといった二音語になります。また、アの頭に予唸音が付き、ィア(ヤ)、クア(カ)、ムア(マ)の音になりヤツ、カツ、マツ、といった音で使われます。
◇ 「マカ」最大級を示す語
まずアがアツになり、さらに クアツ(カツ)と膨らむ。これにもう一つアツから転じた ムアツ(マツ)を二段に重ね、マツカツという語ができる。
インドでは略してマカ(摩訶)。太古日本ではマサカツ(正勝)、マサカ(正哉)。西欧圏語ではマツクス(max)という語になり、全て「最高」を意味する単語となる。
ただし、日本語のマサカツは上代までであり、記紀の中でのみ見ることができる言葉である。現代語でいう「まさか」が此れに当たるかどうかは不明。
② アキツキという語
群れで暮らす動物には必ずリーダーが現われる。それは、どんな世界にも権力欲を持つ者がいるという次元の話ではなく、集団が出来ればそれを統率する役目のモノが自然に作られる、という動物行動学上に於ける遺伝子レベルの問題である。
規模に関わらず社会(群れ形態)が形作られて暮らし始めたキツキ(人)達のリーダーは、キツキの頭に大の意を持つ音•アを乗せた語のアキツキ(大・の人)という音で呼ばれる。
アの音が膨張してアハになりアハキツキ、またアムキツキにもなり、家の主(父、夫)から、国の王まで使う語である。
アハ・キツキ→オホ・ヂヌシ(大地主)の転音ではヌシの音に主を充てる。アツ・キツキ→アル・ヂブトと転じた音には主人(アルヂビト)の字が充てられて、ここでは主の字がアルヂの読みになる。
◇「アキツキ」の表記
王(首領)を表わすアキツキには、天津日、天之御、天ツ皇、大ツ御、大王、大国主(大物主、大汝など)を使う。ただ、これらの表記は王ばかりとは限らず、族長や氏長レベルであっても用いていた。
天津日の子は日子、天之御の子は御子、天皇の子は皇子、というように表わし、日子はヒコ、御子や皇子はミコと呼ぶが、キコの音も有ったかも知れない。上代に於いて皇子を音読みでオウジとするのは考えづらい。
ⅰ「天皇」
《書紀》では全ての王の名の末尾に天皇の文字を置いている。《古事記》では三十三人のうち大方が命〔ミコト〕とする中で、景行(十二代)、成務(十三代)、仲哀(十四代)、欽明(二十九代)、崇峻(三十二代)、の五人のみが天皇になっている。
全体の記事のなかでは、上巻で一ヶ所、中巻と下巻では多くの大王の項目に天皇の文字が見える。
*邇邇芸能命に対し大山津見神が云う。「天皇命等之御命 不長也」
*伊波禮毘古が大和に来たのち、伊須氣余理比賣と出会う場面に使われる「於天皇」「乃天皇」「以天皇之命」「天皇幸行」「天皇御歌」など。
*《仁徳記》に「此天皇 娶葛城之曽都毘古之女 石之比賣命」「此大雀天皇之御子等 幷六王」など多数ある。この他にも歌の詞書などで使われる。
*《摂津風土記》息長帯比賣天皇(仲哀の后。神功皇后)、《常陸風土記》倭武天皇(倭建命。景行の子)、《播磨風土記》宇治天皇(宇遲和紀郎子。応神の子)、などの人物に天皇の字が使われている。
ただ、この人達が国の王になったという記述は、少なくとも記紀の中には存在しない。
◇上代のそれぞれの時代に於いて、天皇という字が使われていたかどうかは分からない。だが、使われていなかったという証明も出来ない。
王をアキツミと呼ぶ時代や地域があり、アキに天、ミに皇、といった字を充てる文化背景があれば、天ツ皇という表記が為されるのは、むしろ自然の成り行きである。
天皇という文字が書かれた木簡が出土した事があるが、年代測定では天武の時代の物と推定され、これが今のところ天皇という文字の最も古い現物資料となっている。しかし、このことで「天皇の表記は天武の時代に始まった」などと軽々には言えない。
ⅱ「スメラミコト」
天皇の読み方としてスメラミコトの音を使う事も多い。首領を表わす言葉の一つにツツヌキというのが有り、此の音が、ツツヌキ・カツキ→ツブラミ・コット→スベラミ・コト、と転じて出来たと推測できる。
意味するところは同じなので、天皇の表記に対してスメラミコトの音を充てて何ら構わないだろうが、音は天皇と直接の繋がりは無い様に思える。
或いは、ツツヌキのツツがテンと発音されてテンツキに変わり、この音に「天〔テン〕ツ皇〔キ〕」と充てるのは可能である。
スメラの意味に付いては、統べ、全ら、などが考えられ、世の統治をいう語になる。〈1/3〉
…[009]に、つづく。
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